あれこれと2021/11/09

岸田内閣になって衆議院選挙も終わり、維新が拡大し立憲が失速した。れいわは孤軍奮闘し山本太郎が当選した。大局は変わらんが極右の増長が気になる。このまま憲法改正に進み、格差是正無きまま、それこそ戦前の体制に逆戻りさせようとかのようだ。
あれこれと・・・思うところはある。沈黙は是認と同じなので黙るつもりはない。むしろ大いに発信して国を変えたいという思いもある。しかしSNSでどんなに騒いでも「馬の耳に念仏」である。それどころか黙って聞くことすらしない。いやはやひどい国になったもんだ。人権は政権にとって邪魔だそうだ。じゃ国ってなんなの?国民あっての国でしょ。政治家も公務員も国民に奉仕すべき職業でしょ。
結局、あれこれと愚痴ってるだけだが、これもまた息抜き。
写真は、姿にインスパイヤーされた、先日出会った桜の木。(材木岩公園内)

散歩のこと2021/11/11

今年の連休中から朝の散歩を日課とするようにした。もちろん運動不足解消という目標もあるが、脳梗塞後遺症で多少のふらつきもあるので、真っ直ぐに歩くといったリハビリの側面もある。
幸いなことに、ご近所のダム湖周辺や滝桜周辺によく整備された遊歩道がある。雨の日以外は大体1時間程度、いろんなコースを決めて仕事前に歩くことにしている。
散歩始めて半年を経過したこの頃は、足も軽くなって、同じ時間でもステップ数が増えてきている。要するに歩くスピードも増して距離を稼げるようになっているし、最初の頃には何度も立ち止まっていた坂道も、難なく一気に歩き通せるようになってきた。妻も驚くほどの効果である。
あらためて歩くことの大切さを実感している。
しかし単に運動的な効果だけではない重要な点がある。体を動かしながら視覚的・聴覚的・臭覚的・触覚的・・・養老孟司先生も言っておられるが、要するに五感をフル稼働していろんなインプットをしていることが重要なのだと思う。そして季節の草花や木々の変化などを見ながら思索にふけることで、脳も活性化し同時に癒やされるのだろう。
おかげで帰宅後に測定している血圧は常に低く、最高で110前後まで下がって、体調もすこぶるいい。
冬になって、厳冬期や雪の時はどうするかという課題はあるが、日課として歩みを止めるつもりはない。
肉体的・精神的健康のため散歩を続けるつもりだ。

娘の結婚2021/11/12

とても大事なことを書き忘れていた。本当は、忘れていたというのは正しくない。どう記そうかと、うろたえていたのかもしれない。素直に喜んででやればいいのだが、父親としてはちょっと気持ちの整理がつかなかったというのが本音かもしれない。
先月はじめに、娘が婚約者を連れて帰郷した。大学時代からの友人で、現在も大学院の博士課程在学中のとても優秀なエンジニアだ。どんな変わり者かと心配していたが、性格が明るくって無口でないのでホッとした。二人を見てると、趣味も一致しているようだし、結構気が合ってるようで安心した。
ともかくこういう場合、親父としてはどうゆう態度が良いのだろう?娘の誕生以来ず〜と心配していた重大事なのだが・・。
ところが、
コロナ禍ということもあるし、結婚式は行わないで、同居に伴う引っ越しついでに入籍と、実にあっさりと言われてしまった。先方の両親も同意のようで、実にサバサバしていてホッとしている。
当方も面倒な親戚付き合いもしていないし、本人たちの意向を尊重するつもりなので、気持ちの上でも助かったのだが、今月末には引っ越す(独身寮を出る)ということで、バタバタしてるうちに、娘の結婚という重大事がさっさと終わってしまう。
そこで明日は、娘たち主催で両親の顔合わせという次第になっていて、昼食会に招待されている。
ロンドン暮らしが長いご家庭で、日本の古めかしいしきたりなど無関係の方々らしいので安心しているが、これからは若夫婦のために良き付き合いができればいいのかな、と少し冷静に考えている。
さて、明日の食事会が楽しみだ。

早朝の公園にて2021/11/26

散歩を日課にして半年以上になるが、とても不思議に思うことがある。早朝にもかかわらず、公園の駐車場に何台か車があって、大抵はダム湖で釣りをする人たちなんだけど、中にはエンジンかけっぱなしで車の中で何やらしている人がいる。最初はあまり気に留めなかったけど、散歩に来てる様子もなく、釣り人でもなさそうで、覗いてみると本を読んだり、スマホをいじっていたりしている。日中ならともかく、近所の郡山ナンバーが多いが、朝7時前だというのにわざわざ自宅を出て公園に来るってどういうことなんだろう?不思議でならない。
一体彼らはどういう状況なのか?歩きながらいろいろ考えた。
ある時、新聞を広げて車内でくつろいでいるように見える人に出会った。あんまりジロジロ見るのは失礼なのでチラ見だけど、比較的若い人で、どうやら飲み物も用意してくつろいでいるとしか見えないのである。
そこで思いついたのが、一人でくつろげる場所が自宅にないのか、出勤前に一日の起動準備でもしてるのか、どちらかではないだろうか?ということである。
我が集落は、私を含め都会からの移住者も多いが、周りは昔からの農村である。確かに農家の間取りには個室なるものがないのかもしれない。そう考えると何となく理解できる。
いろんなケースが有るだろうけど、まだ寝ている家人を気遣って、わざわざここまで来たのかもしれない。気兼ねなく駐車してくつろげる場所は公園のパーキングかもしれない。
そういえば、愛車のワンボックスを居間のように使っている人のことをニュースで見たこともある。
そんなふうに考えると、何だか少しばかり気の毒でもある。