メタセコイア2023/11/07

我が家の庭にはメタセコイアが2本ある。20年以上前にタネを拾ってきて浦和のマンションの庭で育て、三春に家を建てた時に移植したのだが、ご覧の通り大きくなりすぎた。西側の一本はお隣に枝がはみ出してしまい、文句は言われてないが、やっぱり問題なのでこの冬に伐採するつもりだ。東側は半分ぐらいの高さにして、枝をうまく剪定してもらうつもりだが、庭師さんに相談した所、両作業とも一人じゃ無理そうで結構費用がかかる。ちょうど台所のリフォームも考えており、見積もりが決まり次第予算との相談になるが、先延ばしにしても諸物価高騰で工賃が値上がりするかもしれないので、何とかこの冬にやりたい。
樹形も黄葉した姿も気に入ってるけど、残念だが家庭の庭に植える木ではなかったなあと反省している。

絵画修行について2023/11/22

学生時代に美術史を学んだ事もあり、一通りの知識はあるつもりだが、齢を重ね記憶が曖昧なところもある。だがその頃より一貫して興味関心があるのは、作家論ではなく技法についてであったと思う。時代によって絵画技法も変化するが、その背景には画材の進化という点も無関係では無いと思う。
そんな事を考えながら絵画を見ていると、描写力の背景には、画力だけでなく制作プロセスにおける職人技が重要な要素だと気づくことがある。
そんな訳で、もっぱら作品鑑賞というより、作品を分析的に観察するという癖がついてしまった。
僕が絵を描き始めたのは、そういった観察結果の実践というか、技法を知る為の実験であって、描きたい対象やテーマがあって、それを表現しようとしたものではなかった。
田舎暮らしで画廊巡りもできないので、もっぱらネットでたくさんの作品を見て、それを参考にいろいろ試作しているが、まだ自分の作品というものがない。練習や習作の類がどんどん貯まるだけである。でも、それも大事なプロセスと捉えているが、そろそろ作品を制作しようとも思う。
そんな訳で最近地元の美術協会に入った。
年に一回は作品を出展するという、自分へのプレッシャーである。
焦らず楽しむことが大事だが、画学生のつもりでやってみようと思う。

画家は職人(画工)2023/11/24

画家は表現者であると言うのは近年の概念であって、それ以前は職人としての画工であったと思う。依頼されて礼拝堂にフレスコ画を描く、注文を受けて肖像画を描くといったような工房または個人だった。それ故に画工または画工房としての表現に係る技術力が大事になる。そうしてさまざまな技法が模索され、画材も開発されていった事だろう。
画材の知識も乏しく、大した技術力もなく、まさにパッションのみで絵の具をぶちまけるような作品はどうしても好きにはなれない。
そんな事を考えているせいか?表現の前に正しい技術力を習得することに拘ってしまう。この傾向は、美術史を学んだことに起因すると思うが、的確な手順で制作された作品は、作品としての物理的堅牢性や安定感があるが、熱情の産物はその限りでは無い。
だから基本的な技法や画材に関する知識を持つことは大切なことで、絵の学び直しの一環として、美術工芸史を学び直そうと思う。