高齢者と病人の自覚2020/11/22

紅葉の見頃も過ぎて冬タイヤに交換する時期が来たけど、まだそこまで手が回らない。
この頃はというと、とにかく薬のせいで午前中にフラフラすることがある。先日大仕事の納品を終えて一段落したので、朝から大工仕事に手を出したのだが、ちょっとふらついて丸鋸で右掌を切ってしまった、ザックリいってしまったので病院で10針縫うという大怪我になってしまった。しかし状況を再現しようとしてもよくわからないほど一瞬のことで、作業を終えてコンセントを抜きに行く途中で右手に持ってた丸鋸が何かにあたって反転し、スイッチが入ってしまった。徒然草の「高名の木登り」を思い出すような出来事だ。
妻にも言われたのだが、高齢の病人だという自覚を持って日々行動しなければ駄目だなということ。薬を飲んだ直後、特に午前中はフラフラすることもあるので、電動工具などを使う危険な作業はしないとか、とにかく新しい行動規範を元にしなければならないということなのだ。そんな訳で、新規の薪棚の制作、原木の玉切り、冬タイヤへの交換、焚付用建材切り、などが遅れてしまっている。
それより問題は仕事への影響だ。利き手の右手が使えずどうなることかと心配だったが、縫合した直後はひどくうずいて痛みもひどかったけど、4日目にして痛みもほぼなくなり、軽く握る程度のことが出来るようになった。試しにタブレットを使ってみたが、ペンをしっかり握れないけど何とかなることがわかった。今朝は車の運転にもトライしたが問題なく操作できた。
それにしても今年は病院の世話になることが続く。7月に脳梗塞で入院するも軽度だったので運動機能障害なし。そして今回も利き手が結構な大怪我にもかかわらず数日で何とかなりそう。
なんだか不幸中の幸いというか、運がいいというか、最悪の事態は回避できている。
ともかく、若い頃の感覚を捨て、高齢者で病人であるという自覚を持って日々暮らさねばなあと、強く認識した。