転機そして再起動2022/08/16

三春の滝桜
先の投稿から随分と時間が経過してしまった。
あっという間に今年ももうお盆頃となり、庭ではミンミンゼミがうるさい。
この間はというと、一言で言うなら結構忙しくしていて、ブログに気が回らなかったと言うのが実情で、体調を崩したとか、PCが壊れたとか言うことではなかった。
さて、妻も私も高齢者の病人となり、社員もいないことだし元気なうちにと言うことで、3月末をもって会社を閉めることになった。そして最後の仕事が難易度が高い大仕事で、会社があるうちに納品しなきゃと言うプレッシャーで年明けからずっと緊張した日々が続き、無事納めた後はホットして、庭いじりや薪割りなんかで過ごしてきた。何しろ36年間続けてきた会社がなくなり、これからは個人事業主として再出発するのだから、春から夏にかけては諸々の整理や事業計画などを考える時間に当ててきた。
そんな訳で、仕事に関しては年金不足を補う程度あればいいんだが・・開けてみたら7月になるまで全くなくって、懇意にしてる会社に頼んで僅かながらのトレース仕事を出してもらうと言う始末。
秋口からは仕事の話も出てくるだろうと期待したいるが、いやはや脱サラ初年度は多難かもしれない。
再起動の年、滝桜も元気に咲き誇っていた。

仕事のこと2015/03/15

バイトを含めると、実にいろいろな仕事に就いてきた。今はもっぱら考古学専門のイラストレーターだと自認している。いわゆる実測屋(図面描き)で、石器を専門に分析と図化を生業にしている。その前は、埼玉県内で遺跡発掘・報告書作などに従事し、30代はほぼ早稲田大学古代エジプト調査室に所属し、現地調査に専念していた。専門は古代エジプト美術・考古学である。
そもそも美術が好きで、実技を学ぶべく芸大を目指そうと考えたこともあったが、試験科目の都合で、美術史へと変え、早稲田に進学した。
大学時代には、呼び屋(コンサートなどの企画・運営)でのチラシ撒きやモギリ・楽屋の小間使い、画商の助手(絵を売り歩く)、印刷工場での夜勤などを経験。卒業後は、実家の仕出し屋を継ぐため、大津の仕出し屋で住み込みの和食調理修行し、一時実家を継ぎ、料理人をやっていた。しかし、思うところあって、大学院進学を目指し再上京。そしてカレーショップ(友人の店)のシェフ、清掃会社の仕事、そして最後に遺跡発掘の仕事をしてきた。
思えば、考古学との出会いはこの経験が元になっている。ただし考古学に進むきっかけは、学部時代にお世話になった高橋教授の指導によるところが大きい。「エジプト調査隊に美術史の学生を送り込みたい」という川村教授(当時の調査隊長)の要望に答えるような形で強く勧められたからである。そのために発掘バイトをはじめたと言っても良い。

思えば・・遠くに暮らしている。2015/03/08

移住当時の我が家遠景
福島県田村郡三春町、今ココで暮らしている。
岐阜県生まれで、大学生活を東京で過ごし、一時帰郷したものの再び上京、そして埼玉で暮らしていた。娘が生まれ、思い立って2001年に家を新築し、子育てのため、自然環境の素晴らしさに惹かれ、現在地に移住してきたのだ。そして2011年3月11日を迎えた。
幸いにして、家族も家も無事だったが、私の心は大きく揺さぶられた。当然のことだと思うけど、いろんな思考回路が大きく変わっていった。様々な怒りをエネルギーに、家族、生活を守ることが第一になっている。