歩きながら考えた脳の事2024/08/13

人生いろいろって、島倉千恵子の歌ではないが、本当にそう思うこの頃。散歩中には色んなな思い出が予期もせず湧いてくることがある。あぶくの如く沸々と、脈略も無くって事もある。もちろんその時々の目に映る景色や草花などがきっかけで、思い出したり連想したりもするが、不思議だが、理由もなくふわっと湧いて出てくることも。
脳梗塞を罹患して、脳の役割や重要さは実感しているが、その不思議さは人智では到底及ばない。壊れたところは戻らないけど、未使用区画がその代替えとなって機能してくれるようで、諦めずリハビリすることで少しずつだが回復の兆しもある。
有難いことに味覚異常が少しずつ回復してきて、退院直後は純米酒も2級酒も区別できなかったのが、ちゃんと違いを感じて楽しめるようになってきた。しかし、未だにコーヒーの酸味や旨味、ワインの芳醇な味というのが分からないままである。
味がわからないっていうのは、口中の味覚センサー壊れたのかと言うとそうではないだろう。センサーに異常はないが、伝達されてくる情報が正しく認識されないという脳機能の障害なのだと思う。
記憶の繋がりや、冒頭で書いた予期せぬ思い出しなども、もしかしたら脳障害のせいであるかも知れない。何かしらの不具合が記憶の合理的な繫りを乱し、超現実的な記憶を生み出したりするのかも知れない。またそうなると睡眠中の夢などもその傾向があるのかも知れない。
病気持ちの老人が訳のわからない事を言ったり、奇行に走ったりする事の背景にはっこんな事もあるのかも知れないなあ。

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