思えば・・遠くに暮らしている。2015/03/08

移住当時の我が家遠景
福島県田村郡三春町、今ココで暮らしている。
岐阜県生まれで、大学生活を東京で過ごし、一時帰郷したものの再び上京、そして埼玉で暮らしていた。娘が生まれ、思い立って2001年に家を新築し、子育てのため、自然環境の素晴らしさに惹かれ、現在地に移住してきたのだ。そして2011年3月11日を迎えた。
幸いにして、家族も家も無事だったが、私の心は大きく揺さぶられた。当然のことだと思うけど、いろんな思考回路が大きく変わっていった。様々な怒りをエネルギーに、家族、生活を守ることが第一になっている。

仕事のこと2015/03/15

バイトを含めると、実にいろいろな仕事に就いてきた。今はもっぱら考古学専門のイラストレーターだと自認している。いわゆる実測屋(図面描き)で、石器を専門に分析と図化を生業にしている。その前は、埼玉県内で遺跡発掘・報告書作などに従事し、30代はほぼ早稲田大学古代エジプト調査室に所属し、現地調査に専念していた。専門は古代エジプト美術・考古学である。
そもそも美術が好きで、実技を学ぶべく芸大を目指そうと考えたこともあったが、試験科目の都合で、美術史へと変え、早稲田に進学した。
大学時代には、呼び屋(コンサートなどの企画・運営)でのチラシ撒きやモギリ・楽屋の小間使い、画商の助手(絵を売り歩く)、印刷工場での夜勤などを経験。卒業後は、実家の仕出し屋を継ぐため、大津の仕出し屋で住み込みの和食調理修行し、一時実家を継ぎ、料理人をやっていた。しかし、思うところあって、大学院進学を目指し再上京。そしてカレーショップ(友人の店)のシェフ、清掃会社の仕事、そして最後に遺跡発掘の仕事をしてきた。
思えば、考古学との出会いはこの経験が元になっている。ただし考古学に進むきっかけは、学部時代にお世話になった高橋教授の指導によるところが大きい。「エジプト調査隊に美術史の学生を送り込みたい」という川村教授(当時の調査隊長)の要望に答えるような形で強く勧められたからである。そのために発掘バイトをはじめたと言っても良い。