ブログを書くということ ― 2024/12/14

このブログも何度か挫折した。
始めたばかりの頃は、埼玉から阿武隈山地の里山への移住直後だったので、山里から新しい暮らしの発信をと目論んでいたのだけれど、なかなか思うようにいかず、一旦全ての記事を削除してしばらく放置していたのだが、2011年の東日本大震災後のツタンカーメン展監修を機に、思いも新たに再開する事にした。
その後は不定期にポツポツと投稿してきたが、4年前の2020年7月に脳梗塞を罹患した事と病気持ち高齢者である事の実感を持ったことで改めて必要性を感じて書くようになった。
それは残りの人生の記録であり、時々の思いや出来事の保存であり、何より脳のリハビリのためだという事だ。
言うまでもなく、思いや考えを文字起こしする事や文章を綴ることは思考を深め、また思考を整理することなのだが、一方、加齢によって薄れ行くはるか昔の記憶をアーカイブする作業でもある。もちろん誰の為でもなく自分の為なんだが、古い写真アルバムを眺めるように、忘れそうな大事な記憶も残しておこうと言う企てでもある。
始めたばかりの頃は、埼玉から阿武隈山地の里山への移住直後だったので、山里から新しい暮らしの発信をと目論んでいたのだけれど、なかなか思うようにいかず、一旦全ての記事を削除してしばらく放置していたのだが、2011年の東日本大震災後のツタンカーメン展監修を機に、思いも新たに再開する事にした。
その後は不定期にポツポツと投稿してきたが、4年前の2020年7月に脳梗塞を罹患した事と病気持ち高齢者である事の実感を持ったことで改めて必要性を感じて書くようになった。
それは残りの人生の記録であり、時々の思いや出来事の保存であり、何より脳のリハビリのためだという事だ。
言うまでもなく、思いや考えを文字起こしする事や文章を綴ることは思考を深め、また思考を整理することなのだが、一方、加齢によって薄れ行くはるか昔の記憶をアーカイブする作業でもある。もちろん誰の為でもなく自分の為なんだが、古い写真アルバムを眺めるように、忘れそうな大事な記憶も残しておこうと言う企てでもある。