イスラムの村 ― 2024/08/26

調査隊には色んな人が来る。我々大学の教員・スタッフや学生はもちろんだが、調査内容によっては委託した探査会社や環境検査会社、空撮や測量会社のスタッフ、そしてテレビ局や通信社に取材班などが加わることもしばしばで、実にバラエティーに富んでいる。中には少々変わった人がいて、現地でマネージメントする者にとっては頭の痛い事件を起こす場合がある。
例えば、仕事終えて夕食までの休憩時間に宿舎の外に出て村に行き、現地の人たちと仲良くなり、その人の家に行ったりする事。もちろん悪い事ではないが、慣れないイスラム社会で現地の習慣など無知な人が行動すれば、時には厄介な揉め事が起きるものである。前にも書いたが、観光ビザで入国し、政府の許可のもとで調査をしているのと、調査期間中現地では多くの作業員を雇う雇用者でもあって、色んな意味で気を使う関係で、必要以上に現地の人と親しくするのは控えるといった微妙な関係なのである。そんな状況で、ただでさえ調査で忙しいのに、個人的な揉め事など持ち込まれては困るのだ。そんな訳で一応滞在中の注意事項として毎回説明するのだが、つい浮かれた気分でルール違反する者もあった。
中には、暗い村の中にネオンのような明かりを見て、歓楽街か何かと勘違いして、そこへ連れ行けと頼まれたこともある。そこはモスクなのだが・・・。
調査中に作業員を現地で雇うには古くからの手順があって、まずは発掘人夫を束ねる親方に相談し、そこから手配してもらうのが伝統的なやり方なのである。我々外国人が直接人を集めたりすると、現金収入の少ない田舎では厄介な揉め事になる。微妙な立場の外国人がそんな事に巻き込まれると、調査許可に悪い影響が出る恐れもあるので、勝手に作業員を雇ったりするのは御法度なのだが、ある時勝手に現地の少年を雇い、紅茶を入れさせたり、笛を吹かせたりして悦に入っていた調査員がいて、私に賃金を支払うように要求してきた事がある。ハワード•カーターの時代のような優雅な調査気分を味わいたかったのだろうが、そんな勝手な事は断じて認められないので、拒否した事がある。
イスラム社会で外国人として暮らし、人を雇って発掘調査をするという事は、一度きりの物見胡散の観光旅行ではなく、長期にわたる現地との関わりに気を配らなければならないのである。
そういう事は、何度も現地調査に参加しマネージメントしてきたので、私としては痛感しているが、ゲストの調査員や一時的な派遣の技師さんたちにはなかなか分かってもらえず。これも懐かしい思い出だが、正直言って毎回毎回頭の痛い問題だった。
例えば、仕事終えて夕食までの休憩時間に宿舎の外に出て村に行き、現地の人たちと仲良くなり、その人の家に行ったりする事。もちろん悪い事ではないが、慣れないイスラム社会で現地の習慣など無知な人が行動すれば、時には厄介な揉め事が起きるものである。前にも書いたが、観光ビザで入国し、政府の許可のもとで調査をしているのと、調査期間中現地では多くの作業員を雇う雇用者でもあって、色んな意味で気を使う関係で、必要以上に現地の人と親しくするのは控えるといった微妙な関係なのである。そんな状況で、ただでさえ調査で忙しいのに、個人的な揉め事など持ち込まれては困るのだ。そんな訳で一応滞在中の注意事項として毎回説明するのだが、つい浮かれた気分でルール違反する者もあった。
中には、暗い村の中にネオンのような明かりを見て、歓楽街か何かと勘違いして、そこへ連れ行けと頼まれたこともある。そこはモスクなのだが・・・。
調査中に作業員を現地で雇うには古くからの手順があって、まずは発掘人夫を束ねる親方に相談し、そこから手配してもらうのが伝統的なやり方なのである。我々外国人が直接人を集めたりすると、現金収入の少ない田舎では厄介な揉め事になる。微妙な立場の外国人がそんな事に巻き込まれると、調査許可に悪い影響が出る恐れもあるので、勝手に作業員を雇ったりするのは御法度なのだが、ある時勝手に現地の少年を雇い、紅茶を入れさせたり、笛を吹かせたりして悦に入っていた調査員がいて、私に賃金を支払うように要求してきた事がある。ハワード•カーターの時代のような優雅な調査気分を味わいたかったのだろうが、そんな勝手な事は断じて認められないので、拒否した事がある。
イスラム社会で外国人として暮らし、人を雇って発掘調査をするという事は、一度きりの物見胡散の観光旅行ではなく、長期にわたる現地との関わりに気を配らなければならないのである。
そういう事は、何度も現地調査に参加しマネージメントしてきたので、私としては痛感しているが、ゲストの調査員や一時的な派遣の技師さんたちにはなかなか分かってもらえず。これも懐かしい思い出だが、正直言って毎回毎回頭の痛い問題だった。
ワセダハウスの事 ― 2024/08/24

ルクソール西岸のクルナ村は王家の谷や王妃の谷へ行くための入り口だし、何よりも中王国時代からの貴族墓(私人墓)が集中しているところで、壮大な葬祭殿が立ち並び、言うなればまさに国際観光村である。
早稲田大学はこの村はずれのカーターハウス隣に、ルクソール考古学研究所(通称:ワセダハウス)を持っていて、毎年調査隊を派遣してきた。大学の職員になった後は、ここの維持費などの管理や現地でのメンテナンスなどが仕事となり、まさにワセダハウスの管理人であった。
当時(現在もそうかもしれないが・・)日本とエジプトには国としての文化協定は結ばれてなくて、ましてや私立大学の調査隊なので、観光ビザで入国し、考古庁の許可をもらって活動するといった具合であった。それはつまり入国の際に申請した調査機材などは、調査終了後にはいちいち持ち帰らなくてはならず、ワセダハウスも一時的な宿舎として認められたもので、エジプト政府から土地を借りて早稲田大学の資金で建てたものだった。そして調査隊が行かなくなるとエジプト政府に帰属するという協定だったらしく、少人数でも良いから毎年派遣してたのはそういう事情もあったからでもある。
建物は現地の伝統的な泥レンガで出来ており、埃っぽいところを我慢すれば冬は暖かく、夏も過ごしやすかった。ただし一度熱くなるとなかなか冷めないので、真夏の調査では、風のある屋外で寝るしかなかった。プリニウスのエジプト誌にも書かれているが、虫の多い水辺の屋外では高い塔の上で寝ていたらしい。
さて、そんなワセダハウスだが、吉村先生と川床睦夫氏の努力によって出来上がったのだが、現場工事を指揮した川床氏は、何号室か忘れたけど、自分の部屋だけ特別に念入りに仕上げたと、後になって聞いたことがある。
泥レンガの塀に囲まれたこの宿舎で、長ければ2ヶ月、通常は一月半ほど集団生活をして調査をするのだが、エジプトのクルナ村に一時的に日本人村が出現するのである。塀の中のこりない面々って映画があったけど、まさにこの中では思い出深い様々なことがあって、いろんな人たちに出会い、生活全般や調査の裏話など山ほどある。
覚えているうちにボチボチ書き残していこうと思ってます。
早稲田大学はこの村はずれのカーターハウス隣に、ルクソール考古学研究所(通称:ワセダハウス)を持っていて、毎年調査隊を派遣してきた。大学の職員になった後は、ここの維持費などの管理や現地でのメンテナンスなどが仕事となり、まさにワセダハウスの管理人であった。
当時(現在もそうかもしれないが・・)日本とエジプトには国としての文化協定は結ばれてなくて、ましてや私立大学の調査隊なので、観光ビザで入国し、考古庁の許可をもらって活動するといった具合であった。それはつまり入国の際に申請した調査機材などは、調査終了後にはいちいち持ち帰らなくてはならず、ワセダハウスも一時的な宿舎として認められたもので、エジプト政府から土地を借りて早稲田大学の資金で建てたものだった。そして調査隊が行かなくなるとエジプト政府に帰属するという協定だったらしく、少人数でも良いから毎年派遣してたのはそういう事情もあったからでもある。
建物は現地の伝統的な泥レンガで出来ており、埃っぽいところを我慢すれば冬は暖かく、夏も過ごしやすかった。ただし一度熱くなるとなかなか冷めないので、真夏の調査では、風のある屋外で寝るしかなかった。プリニウスのエジプト誌にも書かれているが、虫の多い水辺の屋外では高い塔の上で寝ていたらしい。
さて、そんなワセダハウスだが、吉村先生と川床睦夫氏の努力によって出来上がったのだが、現場工事を指揮した川床氏は、何号室か忘れたけど、自分の部屋だけ特別に念入りに仕上げたと、後になって聞いたことがある。
泥レンガの塀に囲まれたこの宿舎で、長ければ2ヶ月、通常は一月半ほど集団生活をして調査をするのだが、エジプトのクルナ村に一時的に日本人村が出現するのである。塀の中のこりない面々って映画があったけど、まさにこの中では思い出深い様々なことがあって、いろんな人たちに出会い、生活全般や調査の裏話など山ほどある。
覚えているうちにボチボチ書き残していこうと思ってます。
エジプト調査の思い出 ― 2024/08/23

若い頃、ほぼ30代はエジプト調査に費やしていた。年に1〜2回、多い年は3回、エジプトのルクソールやカイロに行き、幾つもの調査に参加してきた。大学の学術調査隊なので、教授たちの講義のない休暇の時期に実施された。ルクソールでは王家の谷のアメンへテプ3世墓やクルナ村の貴族墓調査で主に壁画の記録を担当し、カイロではピラミッドの電磁波レーダー探査や太陽の船予備調査に参加した。はじめは一隊員としての参加だったが、大学の嘱託になってからは学生を指導しながら主体的に活動し、太陽の船予備調査では主任だった。
吉村作治先生の元、何かとテレビで取り上げられ、華々しい印象かもしれないが、実際の現地調査は地味なもので、異国で暮らすこと、特にイスラム圏で仕事をする事の難しさに直面し、貴重な経験となった。もう随分昔のことになったし、現地での暮らしや調査の裏話など、思いつくままに備忘録として残しておこうと思っている。
吉村作治先生の元、何かとテレビで取り上げられ、華々しい印象かもしれないが、実際の現地調査は地味なもので、異国で暮らすこと、特にイスラム圏で仕事をする事の難しさに直面し、貴重な経験となった。もう随分昔のことになったし、現地での暮らしや調査の裏話など、思いつくままに備忘録として残しておこうと思っている。