絵を描くということ2025/08/25

そもそもなぜ絵を描こうとしているのか?
そんな事をふと思ったりするのだが、そもそも日々の生活にハリを持たせ、楽しいから始めた事だったのだ。美術協会に入ったのは、ダラダラと絵の具で遊んでばかりで、なかなか作品制作しない自分に課題を課すためだったのだが、思いの外結構重いプレッシャーになってしまった。もう一度原点に戻って、楽しみの一環として仕切り直そうと思っている。ではどうするのかと言うと、特に妙案も浮かんで来ないのだが、少なくとも学び直しの課題なのだから、計画的に修練するためのカリキュラムの様なものを意識して、日々の練習を欠かさない様にする事が大事なのかもしれない。しかし、作品制作にはかなりのモチベーションやエネルギーが必要で、そこそこ構えてしまうのも事実だ。また「僕は画家ではなく画学生みたいなもの」といった思いに逃げてしまって、日常的に絵の構想を練ったり技術向上に努めたりするような訓練から逃げていたのかもしれない。
さて、難しい仕事も来てるし、仕事と趣味を両立させなくては、そのためには日々の生活を凛としなければ・・・

この頃の日課2025/08/06

8月になった。今年の梅雨はどこ行ったの?って感じで7月が過ぎ、酷暑続きで、気温40度近くになる地域が列島のあちこちにある。まさに異常気象だと思うが、一方で何やら地球規模での環境変化を示唆しているようで、今後のことがやや不安だ。
さて酷暑ゆえ老人には危険なので、庭仕事や薪割りはサボっているし、うっかり水やりをしなかったら鉢植えの桜が枯れてしまったり、畑の野菜の葉が黄色くなったりで散々なのだが、涼しくなったら庭の整備をしようと思っている。だがしばらくは気忙しい時期が続きそうだ。先ずは本業の石器実測が決まり、明日遺物を取りに行き、いよいよ仕事に入れるのだが、秋の美術協会点に出品する作品の主題がまだ決まらず、額縁製作も滞っている。そして来月には文化財フォーラムのレクチャーが予定されており、それの準備などにも忙しい。仕事もなくて4月からずっとのんびりしてきたが、久々に忙しい日が続きそうなので、夏バテに注意しながら乗り切って行こうと思っている。ロクロの練習で作ったもの数点は友人の窯で素焼きしてもらうことになったので、陶芸はしばらくお休みして、仕事をこなしながら絵を描くことに集中しよう。そしてすっかり夜型になってしまった日課を元に戻すべく調整していかないといけないのだが、倉庫での作業が暑過ぎて日中は出来ないという問題もあり、さてどうしたものかと思案中。
ま、とにかく、健康維持のための早朝散歩は続けるとして、ダラダラせずに気合を入れてこの夏乗り切るしかないなあ・・。

陶芸のこと2025/07/31

春先に、友人の陶芸家の仲介で本格的な電動ロクロを貰った。しばらく放置していたが、先月あたりからYouTubeのビデオを参考にしながら、道具類を整備し、ロクロ周辺を陶芸家の作業場のように整備をしたので、最近何度か回してみたが、当たり前のことだがなかなか上手くいかない。
大学院時代に陶芸実習を受講した事もあり、基本的なことは学んだのだが、半世紀も前の事なので一から学び直しである。粘土は随分前に益子の陶芸組合で買った赤っぽいものがあったが、硬くなっていたので水簸して戻し、当分は練り直して使っている。ヘラや削りなどの道具類も、亡き陶芸家日下部正和さんの影響で随分前に揃えた物があったのでそれを使っている。
まずは粘土の扱い、荒練りから菊練りへの訓練のし直しである。もともと講義でざっと覚えただけなので身に付いてはいなかった。せっかくなのでこれからは健康のための運動と思って身につくよう修練しようと思っていろ。
試しに挽いたもの数点を友人に渡してきたので、素焼きが出来るのを楽しみにしている。
まだまだ本業もあるのだが、秋の美術協会展出品のため絵の学び直し修行、そして本格的にロクロを使った陶芸も楽しめるとは、実に贅沢な事である。
無理はせず、楽しむ事を心がけよう。

文化財フォーラム2025/07/30

長年考古学の世界に居たものだから、町の文化財保護審議会の委員をやって来たのだが、現会長が辞任されたため今年度から私が会長という事になってしまった。歴史や文化に関わる事って、20年以上住んでるとはいえ、地域の昔を知らない移住者には荷の重い事だと思うのだが、体調不良と言われては無理強いする訳にもいかず引き受けた。
現在我が町では文化財保存活用地域計画を策定すべく動いてる他、中世から近世の貴重な城郭址であり、街のシンボルでもある城山の国指定史跡登録に向けても動いている。そんな訳で近年になく文化財関連の行事が続き、城山の発掘調査の他、文化財保護機運熟成のため文化材フォーラムも計画され、文化財保護審議会のメンバーが交代でレクチャーをしている。9月にはその4回目として私の番が来るのだが、久々の講師なのでテーマや資料集めにやや手間取っている。昨日も町の歴史民族資料館に行って打ち合わせや資料調査をしてきた。人前で話をする事自体が久々のことなので、何やらモヤモヤした不安も過っている。もちろん自信がない訳ではないが、脳梗塞の後遺症で声が出にくくしゃがれ、滑舌が悪いと自覚しているので、以前に比べれば気が重いのだ。
それと10月の美術協会展に向けて作品も作らなければというプレッシャーも感じ始めている頃でもあるが、まあ難しく考えず、猛暑中ではあるが、まずは健康第一で乗り切っていくとするか。

久々の仕事2025/07/23

年度が変わってから現在に至るまで仕事がない。僕の本業は考古学的石器実測図を作ることで、文化財調査支援業務とでもいう事ができる。そんな訳で顧客は行政の教育委員会とか調査組織なので年度はじめは全く仕事が無くて、新年度予算が執行される6月議会以降からポツポツと出てくるといった具合である。
会社を閉めてからは、以前の半分程の年金の足しになる位の仕事量で十分なのだが、4ヶ月も仕事から離れていると仕事の手順を忘れてしまう。それがようやく取引先から見積もり依頼が来て、来月からはまた石器実測の日々が続くのだが、今回は期待した程の量では無く一月仕事程度になるが、学史にも出てくるような重要な遺物群なのでじっくりと取り組みたいと思っているが、いつもうまく行った試しがない。昨年は、そんな重要な仕事の時期に重なって問題の多い仕事が被ってしまった。素人が発注し、専門家の図面をいじるという愚かな自治体もあるのだ。こんな仕事はもうごめん被りたい。
とにかく最近は、有り難いことに過去の実績が評価されてか、難易度の高い仕事が来る事が多い。あと数年で本当に辞めようと思う様な高齢者になってしまったが、乗りかかった船なのでこの報告書が終わるまでは頑張るつもりだ。仕事がない時は、絵を描いたり、ロクロで遊んだりして趣味人として、ボケ防止と健康のため結構忙しくしている。

水曜日はブログ更新2025/07/16

我が家は毎日新聞を購読している。学生時代から応援している新聞社なので成り行きで今でも購読してるが、ネット時代の昨今はその必要性に疑問もある。でもニュースだけではない楽しみ方というか、時事性の強い論評などは重要だなあと思う事がある。また日曜版のコラムなどは良い刺激になるコンテンツで、松尾貴史氏の「ちょっと違和感」は欠かさず読んでいる。松尾氏といえば多芸多才な方で、確か大阪と東京でカレー屋さんを経営しており、毎週水曜日には新幹線で大阪に行かれるとの事で、その移動時間中が新聞コラムの執筆時間だと書かれていたと記憶している。多忙な方なので集中できる時間がそこだけなのかも知れず、ちょっとお気の毒でもあるが、せいぜい2時間ちょっとの時間に原稿を仕上げて、おそらくは大阪到着後に推敲し新聞社に送信しているのだろう。
とにかく毎週連載というきつい縛りをこなすには、一定の生活リズムというか、自己制御のための決まりが必要なのだと思う。
そんな訳で、ちょうど今日が水曜日だし、松尾さんにあやかって僕もブログを執筆している。今まで書いたり書かなかったりで、不定期更新だったけど、これからは水曜更新で行くかな。書くことを続けること、これは脳のリハビリという事だし、自分への課題にするかな。

自然との共生はイタチごっこでいい2025/07/11

暑い時期が来ると、起床後早々に散歩に出かける。
日中は老人には危険なので、なるべく涼しい時間帯に歩くようにしている。それは自分の体力や体調を考慮しての事だけど、気候に合わせて自分時間やコンテンツを決める事でもある。
春には山野草の花を愛でるといった目を楽しませる事や、野鳥の鳴き声を楽しみながら歩く。僕にとって散歩は健康管理のためのただの運動ではなく、五感を駆使した楽しみ方だと思っている。自然を愛でてそも中で暮らしているという事を実感する時でもある。
天候が良ければ庭に出て雑草を抜くのも日課にしてるが、毎日ポツポツとあまり根を詰めずに、気になるところの草を引くのがいい。特に植栽の隙間から容赦なく生えてくるスギナを引くのが、面倒だが楽しい。他の草花に隠れてなかなか的確に茎を見つけるのが難しいが、ゲームでもやってるつもりでバトルすれば、それはそれで面白い。手先や脳の活性化にも繋がろうというものだ。
だから僕は除草剤などは使わない事にしている。
あまり自然を痛めつけないよう、その一部として振る舞う事が大事だと思うからで、雑草を駆逐しようなどと言う身勝手な考えは持たないでいる。引いても引いても出てくるスギナとイタチごっこでも良いではないか。そんな控えめな暮らしとイタチごっこが、自然と共生する為の良きスタイルだと思っている。

言葉を紡ぐ事は脳のリハビリ2025/05/31

軽い脳梗塞を患って5年が経過しようとしている。本当に幸いな事に軽症だったので、若干の発声障害で済んだのだが、僅かでも脳にダメージがある事には変わりない。そこで何とか眠っている細胞を呼び起こして、壊れた細胞の代わりにしようとリハビリに励むのだが、脳の活性化を促すには、絶えず思考する事、考え続ける事が最も有効なのだと思う。ブログを書くことも、備忘録だけではなく、そんな脳のリハビリのつもりなのだが、つい更新を忘れ放置してしまうことも度々で、なかなか上手くいかない。
文章を書くためには思考を纏めて、文字化する作業を繰り返すことだ。そのためには思った事に適した言葉を探し出さなきゃならない。つまりは語彙力の豊富さが大事で、少ない語彙では自ずと表現力など生まれない。小説家志望ではないので味のある文章などは望んでないのだが、的確な表現をする事には拘りたい。若い頃研究者の端くれに居たもんだから、言葉に対して曖昧さは避ける癖が付いているようで、それが僕らしさと言えるのかもしれないが、ともかく先ずは病気治療のためにあれこれ考えながら、絶えず良き文章が生み出せるよう努めるとしよう。
言葉を紡ぐことが、脳の活性化につながると信じて。

作品を作ると言うこと2025/05/28

絵の練習を始めたきっかけは、実は終活の一環だった。先のことを考えて色々片付けをしている時に、若い頃から捨てずに持っていた画材の扱いをどうするかと言う問題に直面し、処分するのも勿体無いので、使えるものと捨てるものを仕分けしながら、たとえば固まってしまった油絵の具は捨てるしかないが、きちんと洗っておかないで固まってしまった筆などは、何本かは何とか再生出来て使えるようになった。問題は、書きかけのまま放置していたキャンバス類だが、半世紀近くの時が経ち、絵の具層が劣化してひび割れたり剥がれそうになったりしたものもあり、そういうものは加筆を諦めて木枠から外して保存し、木枠にはパネルを貼って基底材として再利用する為ジェッソを塗ったりしてみた。また、プリンターが無くて使わなくなった沢山のA3のコピー用紙などの有効な使い道として、デッサンの練習でもするかと思うようになり、ちょこちょことやっていたのだが、一昨年晩秋に思い立って地元の美術協会に入ったので、秋の展覧会に作品を出すと言う課題を課す事となり、昨年春頃から久々に絵筆をとり、水彩画、油彩画、色鉛筆画などの練習をし、昨年秋の展覧会には作品らしきものを2点出品した。
そんな経過で、最近は仕事の合間にでは無く、日課としてさまざまな画材で絵を描いているのだが、まだまだ学び直し修行中の画学生のつもりなので、自分の事を画家だと思ったことは無い。
そんな訳で老後の楽しみの絵画修行中なのだが、秋の展示会に向けて作品は用意しなきゃならないので、画題を考え、悩む日々が続いている。でも楽しむことが目標なので、普段の練習成果の、学習発表会のつもりで気楽にやっていこうとは思っているが、仮にも展示するのだから、自分の作品として、自分の表現として恥じないものにしたいという思いはある。作品を作るという事はそういう事だと思うのだが、自分らしさとは?自分の表現とは?など、この所毎日そんな事を考えながら過ごしている。
まあ、これもボケ防止、脳の活性化になるのかな。

趣味と仕事2025/02/23

氷点下の朝が続く2月の半ば過ぎになってしまった。今年は飛び込みの仕事もあって結構忙しくしてるので、あっという間の二ヶ月だった。とはいえまだまだ終わったわけではなく、これからが本番というところだ。会社があった頃と違ってキツイって事はないけれど、この頃は結構難易度の高い仕事が来るので、決して精神的に楽ではない。いい意味での適度な緊張感が伴っており、高齢者にはいい刺激である。特に脳梗塞経験者としては、少々難しい仕事を順調にこなしていける事は、脳機能の改善に有効なリハビリだ。一方、絵の練習も欠かさずやっていて、春から作品制作にかかれるよう色々な練習をしている。でも、水彩や色鉛筆などは手軽にいつでも出来るが、油絵は極寒の倉庫をアトリエとしているので、もう少し暖かくならないと、手が悴んでうまく描けない。それに暖房の灯油も値が高くなって、ガンガン使うわけにもいかない。
そんなこんなで、適度な仕事と趣味の両立をしながら健康的に、できれば気ままな70代を生きようと心掛けている。
また、今年はきちんとテーマを決めて、何か残せる仕事をしたいと考えており、趣味の絵画では、絵手紙プロジェクトとして、小さな水彩画を制作しようと企てている。主題は福島の自然景観、身近な自然などだが、郵便料金も高くなったのでそれらをデジタル化し、SNSで知り合いに送ろうと思っている。また油絵は1段階進めて、伝統的な古典画法の習得に努め、今年秋の美術協会展に向けて10号の作品に着手するつもりだ。
とにかく、古稀を過ぎてもボケないよう、自分に色々と課題を課す。これ大事じゃないかなあと思うこの頃。