娘の結婚2021/11/12

とても大事なことを書き忘れていた。本当は、忘れていたというのは正しくない。どう記そうかと、うろたえていたのかもしれない。素直に喜んででやればいいのだが、父親としてはちょっと気持ちの整理がつかなかったというのが本音かもしれない。
先月はじめに、娘が婚約者を連れて帰郷した。大学時代からの友人で、現在も大学院の博士課程在学中のとても優秀なエンジニアだ。どんな変わり者かと心配していたが、性格が明るくって無口でないのでホッとした。二人を見てると、趣味も一致しているようだし、結構気が合ってるようで安心した。
ともかくこういう場合、親父としてはどうゆう態度が良いのだろう?娘の誕生以来ず〜と心配していた重大事なのだが・・。
ところが、
コロナ禍ということもあるし、結婚式は行わないで、同居に伴う引っ越しついでに入籍と、実にあっさりと言われてしまった。先方の両親も同意のようで、実にサバサバしていてホッとしている。
当方も面倒な親戚付き合いもしていないし、本人たちの意向を尊重するつもりなので、気持ちの上でも助かったのだが、今月末には引っ越す(独身寮を出る)ということで、バタバタしてるうちに、娘の結婚という重大事がさっさと終わってしまう。
そこで明日は、娘たち主催で両親の顔合わせという次第になっていて、昼食会に招待されている。
ロンドン暮らしが長いご家庭で、日本の古めかしいしきたりなど無関係の方々らしいので安心しているが、これからは若夫婦のために良き付き合いができればいいのかな、と少し冷静に考えている。
さて、明日の食事会が楽しみだ。

散歩のこと2021/11/11

今年の連休中から朝の散歩を日課とするようにした。もちろん運動不足解消という目標もあるが、脳梗塞後遺症で多少のふらつきもあるので、真っ直ぐに歩くといったリハビリの側面もある。
幸いなことに、ご近所のダム湖周辺や滝桜周辺によく整備された遊歩道がある。雨の日以外は大体1時間程度、いろんなコースを決めて仕事前に歩くことにしている。
散歩始めて半年を経過したこの頃は、足も軽くなって、同じ時間でもステップ数が増えてきている。要するに歩くスピードも増して距離を稼げるようになっているし、最初の頃には何度も立ち止まっていた坂道も、難なく一気に歩き通せるようになってきた。妻も驚くほどの効果である。
あらためて歩くことの大切さを実感している。
しかし単に運動的な効果だけではない重要な点がある。体を動かしながら視覚的・聴覚的・臭覚的・触覚的・・・養老孟司先生も言っておられるが、要するに五感をフル稼働していろんなインプットをしていることが重要なのだと思う。そして季節の草花や木々の変化などを見ながら思索にふけることで、脳も活性化し同時に癒やされるのだろう。
おかげで帰宅後に測定している血圧は常に低く、最高で110前後まで下がって、体調もすこぶるいい。
冬になって、厳冬期や雪の時はどうするかという課題はあるが、日課として歩みを止めるつもりはない。
肉体的・精神的健康のため散歩を続けるつもりだ。

あれこれと2021/11/09

岸田内閣になって衆議院選挙も終わり、維新が拡大し立憲が失速した。れいわは孤軍奮闘し山本太郎が当選した。大局は変わらんが極右の増長が気になる。このまま憲法改正に進み、格差是正無きまま、それこそ戦前の体制に逆戻りさせようとかのようだ。
あれこれと・・・思うところはある。沈黙は是認と同じなので黙るつもりはない。むしろ大いに発信して国を変えたいという思いもある。しかしSNSでどんなに騒いでも「馬の耳に念仏」である。それどころか黙って聞くことすらしない。いやはやひどい国になったもんだ。人権は政権にとって邪魔だそうだ。じゃ国ってなんなの?国民あっての国でしょ。政治家も公務員も国民に奉仕すべき職業でしょ。
結局、あれこれと愚痴ってるだけだが、これもまた息抜き。
写真は、姿にインスパイヤーされた、先日出会った桜の木。(材木岩公園内)

67歳になった2021/07/30

あっという間に7月になり、昨年の脳梗塞による入院からはや1年を経過した。
昨年は病院のベッドで誕生日を迎えたが、今年は温泉宿で豪華な食事とともに67歳の誕生日を迎えることができた。
投薬治療のおかげで血圧は低めで安定し、問題なく暮らしている。タバコをやめた事で肺がクリーンになり、咳き込むことは全くなくなった。今年の連休後からは結果的に飲酒もやめ、雨の日以外は毎朝散歩することを実践しているため、体調はすこぶるいい。ただ昨年11月の手の怪我の後遺症なのか?右掌が神経痛で時々痛む。

コロナ感染症は依然収まらず、感染拡大傾向にあるにもかかわらず、予想に反してオリンピックが始まってしまった。科学的常識では考えられないことだが、菅政権は専門家の意見も無視し、国民の安全を脅かすような賭けで、ひたすら利権のために猛進している。開いた口が塞がらないとはこの事だ。ここまでひどいとはまさに予想以上だった。

さて、先の投稿から随分と間が空いた。
実は、昨年の怪我が大きく響いて、仕事が全て遅れ、年度が変わっても収められず、忙殺されているうちに連休を過ぎ、気がついたら7月になってしまった訳で、体調を崩していたわけではない。
この間の出来事など簡略に記すと、
まず昨年度は多忙だったせいか、幸いにして会社は黒字になり、壊れたPCを直し、新しいiMacを購入し、図化作業用アプリのillustratorをCS3からCCに変え、今までの古い環境を脱して新環境での作業体制を作ることができた。遺物撮影台も新たにしっかりしたスチール棚を購入し、表面反射鏡、LEDトレース台のバックライトを設置した。なぜなら、今年度一杯で会社を精算することを決めたので、来年度以降も個人事業主として実測業を続ける為、基盤の再整備ということになったわけである。
当面iMac2台体制なので、iPadなども加えるとデバイスは写真のようになる。一人で作業するには十分すぎるほどだが、仕事の他にもやりたいことがあり、揃えた機器が無駄にならないよういろいろ取り組んでいきたい。

年頭の雑感2021/01/21

2021年になった。
福島県三春町に移住してから20年の歳月が流れた。娘も就職して自立してくれたので、親としての義務は果たせたと思っている。もともと三春移住は子育てが目的だった事もあり、娘を東大大学院終了まで支えられたので、プロジェクト的には成功したと思っている。
もちろん学歴がすべてではないが、豊かな自然と田舎暮らしで培った感性と、自分の頭で考える能力を備えた大人として成長してくれた事で、親としては胸を撫で下ろしている。
さて時勢はと言うと、昨年来の新型コロナ感染症蔓延により我が国も大変な事になっている。加えてそれを押さえきれない無能な政府によって、さらに事態は混乱している。1年延期されて今年開催予定の東京オリンピック・パラリンピックも中止に追い込まれるだろうし、何より日常生活が大きく変わって、マスク着用は当たり前で、人が集まる事を回避するような息苦しい生活となっている。
冒頭で書いたように、ちょうど私の人生も節目に当たる。
住宅ローンも完済したし、妻と二人、安全で穏やかな老後を送れるよう、また娘には、たくましく、賢く生きるよう、年頭で祈る。

パソコンやネットの事いろいろ2020/12/12

パソコンについては今までいろいろやってきた。
仕事柄PCスキルを要求されるので、パソコン歴もそれなりに長いけど、主にMacを使ってきた。なぜなら大学勤務当時はエジプト調査室に勤務し、研究も海外のことがメインで、大学も事務系はwinだったけど海外と繋がってる研究系や図書館系はMacだったと思う。我々もエジプトのカイロ博物館がMacのシステムだったこともあり、迷うこと無くMacで統一した。そしてエジプトからネットを使って調査状況を配信したりすることを目論んでいたけれど、1990年代後半といえど、まだそれには早すぎてハードやネットの進化を少し待たねばならなかった。とにかくまだ画像処理をするにはスペックが低すぎて、またストレージも小さすぎた。何よりまだインターネットが普及する前だった。
そんな訳でMacに親しんできたわけだが、行政の仕事都合でwinも必要なので、現在は両刀使いである。
ネットはというと、電話回線のニフティから始めて、光回線になってからはASAHIネットにして、ブログやSNSを一通りやってきた。だけどあるときSNSのストレスを感じて、Facebookとインスタグラムを止めた。
そもそも普段付き合いもない連中とどうして繋がっていなけりゃならんのかと言う事である。ただでさえ家庭や仕事の事で忙しくしてるのに、どうして他人の事まで引きづらなければならんのか?それに加えてSNS運営側からもっとたくさんの人と繋がれって言うような通知が頻繁に来てウザッタクて仕方なかった。要するに個人情報が欲しいと言う事であって、それが問題なのである。一体ネットは自分にとって何のために必要なのか?そんな事を考え始めた訳なのだ。
上手くまとまらないので止めるけど、間違いなく今後もネットがインフラになって生活が大きく変わって行くだろう。そんな時代にどう生きたらいいのか? そこが問題だ。

高齢者と病人の自覚2020/11/22

紅葉の見頃も過ぎて冬タイヤに交換する時期が来たけど、まだそこまで手が回らない。
この頃はというと、とにかく薬のせいで午前中にフラフラすることがある。先日大仕事の納品を終えて一段落したので、朝から大工仕事に手を出したのだが、ちょっとふらついて丸鋸で右掌を切ってしまった、ザックリいってしまったので病院で10針縫うという大怪我になってしまった。しかし状況を再現しようとしてもよくわからないほど一瞬のことで、作業を終えてコンセントを抜きに行く途中で右手に持ってた丸鋸が何かにあたって反転し、スイッチが入ってしまった。徒然草の「高名の木登り」を思い出すような出来事だ。
妻にも言われたのだが、高齢の病人だという自覚を持って日々行動しなければ駄目だなということ。薬を飲んだ直後、特に午前中はフラフラすることもあるので、電動工具などを使う危険な作業はしないとか、とにかく新しい行動規範を元にしなければならないということなのだ。そんな訳で、新規の薪棚の制作、原木の玉切り、冬タイヤへの交換、焚付用建材切り、などが遅れてしまっている。
それより問題は仕事への影響だ。利き手の右手が使えずどうなることかと心配だったが、縫合した直後はひどくうずいて痛みもひどかったけど、4日目にして痛みもほぼなくなり、軽く握る程度のことが出来るようになった。試しにタブレットを使ってみたが、ペンをしっかり握れないけど何とかなることがわかった。今朝は車の運転にもトライしたが問題なく操作できた。
それにしても今年は病院の世話になることが続く。7月に脳梗塞で入院するも軽度だったので運動機能障害なし。そして今回も利き手が結構な大怪我にもかかわらず数日で何とかなりそう。
なんだか不幸中の幸いというか、運がいいというか、最悪の事態は回避できている。
ともかく、若い頃の感覚を捨て、高齢者で病人であるという自覚を持って日々暮らさねばなあと、強く認識した。

味覚障害と音痴2020/10/16

10月だというのにあんまり晴れの日がなくてあまり秋らしくない天気が続いている。幸いにして仕事が忙しく、毎日のリズムもようやく安定してきた。
体調はというと、脳梗塞後の治療で血液をサラサラにする薬や心房細動(不整脈)を抑える薬など数種類飲んでいるせいか口の中がどうも変なのである。なにか特定の元素の吸収を抑えているらしく、味覚がおかしくなっている。加えて脳梗塞の後遺症だろうか?声が出しづらく、正しく発声するのにかなりのエネルギーを必要としている。
そんな状態なのでいろいろと試しているんだが、今のところはっきりしているのは、塩分や旨味を感じる機能が低下していることと、声帯と呼吸の連動というか、うまく息を出せなくて声のコントロールが上手くいかないってこと。要するに今まで旨いと感じていたものがそうでなくなり、歌唱力には自信があったのに、声の長短や音程制御がうまく行かず、音痴になってしまったということなのだ。
入院中重症患者を見てきたので、症状がこの程度でラッキーなのかもしれないけど、けっこう悲しい現実である。
味覚障害に関しては治療の一環で薬が変われば・・とも思うけど、発声について障害を改善をするためのリハビリをすることしかないようだ。例えば音読をすることや歌をうたうことなど、リハビリになりそうなことは試そうと思う。そうするとカラオケに行くのもリハビリの一環だし、積極的に会話をするのも効果的だろう。
しかし味覚障害は飲食の楽しみを奪われたようなもので、生きてる楽しみが大幅減の状況に等しい。ただいろいろ試してみたら、高級な純米酒や吟醸酒の旨さがわからなくなってる反面、今まで飲まなかった安酒に違和感を感じなくなった。経済的には安上がりで十分満足で出来るってことで、何とか気を取り直している。
とにかくジタバタしてもしょうがないので、現状を素直に受け入れて高齢者らしく、闘病生活するしかないのだ。
まだ死にたくないからねえ。

夢と希望と治療と仕事2020/09/12

9月も半ばになろうとしているが蒸し暑い日々が続いている。
日本の政治では、安倍晋三が総理を辞めると宣言して、僅かな期待を寄せてみたものの、アベ政治を継承すると公言している官房長官が、与党の老妖怪と組んで最高権力を手にしようとしており、もはや全く夢のない、それどころか絶望的な状況に変容してしまった。田舎から出てきた苦労人的な印象操作が目につくが、実のところ中身のない、ただの権力指向的で心のない冷徹な男のように思える。僅かな苦言も権力で封殺してのし上がってきたのだろう。官僚達の怯えが週刊誌でも報道されている。そんな状況なんだけど、目下のところ個人的には治療と仕事のことで目一杯なのである。まさに井上陽水の「傘がない」的状況なのである。
高血圧が続いていたので、念のために心臓も調べてもらったのだが、その際循環器科の若い医師が処方した「試しに飲んで様子見ましょう」的ないくつもの薬が、それぞれ副作用も明記されてるが、飲み合わせが悪いのか妙に作用して、血圧が下がりすぎたり日中の眠気が取れないなどの症状を引き起こしている。そんな訳で仕事が思うように進まないでいたのだが、いろいろ試して深夜型の生活に切り替えて何とか仕事をこなしている。
深夜に仕事してると、若い頃にFMを聞きながら試験勉強してた頃を思い出す。今はYoutubeで懐かしのジェットストリームを聴いているが、あの頃はJALが元気で、僕にもいろんな夢や希望があった。
何がどうなってこんな夢のない絶望的な状況が生まれてしまったんだろう?日本人は、人類はどこに向かってるのだろう・・そんなことが脳裏を徘徊する。

試行錯誤な退院後2020/08/23

退院してからひと月が経ち、コロナ禍の最中で慣れない生活が続いている。毎日薬を飲むなんて初めての事だし、血圧や心拍数も記録している。心の準備も何もないまま禁煙生活に突入したが、不思議なことに割りとすんなり実行できている。こんな時には一服付けけたいなあとたまに思うことはあるが、思いきり深呼吸したり、お茶を飲んだりする事で凌いでいるし、幸いにしてニコチン中毒のような深刻な症状は出ていない。飲酒については、一日おきに晩酌をするが、350mlの缶ビール一本だけで、習慣となっていた寝酒は止めた。今のところ禁酒はしないが、量を少なくすることと、以前から飲むと頭がキンキンする蒸留系の酒(スピリッツ)をやめることにし、食事を楽しむための日本酒やワインだけにしようと思っている。飲酒はリスキーだと承知しているがこれだけは止められない。うまい酒を少量という方針で楽しむことにする。そういえば恩師で美術史家の友部直先生は、残された時間が少ないからと、大好きなものを少しずつと言いながら、晩年にはキャビアやフォアグラを摘みにワインや吟醸酒を楽しんでおられた。リスクを抱えながらも「楽しみなくして人生とはなんぞや?」の心境である。
病気になると本気で人生を考える。運が悪ければ、不自由な体になって看護師さんたちの世話抜きにして生きられない状況であったかもしれない。もしそうなっていたら、仕事や生活のあれこれどうなっていただろう?と眠れぬ夜中に考える日々が続いている。若いころは実感できなかったけれど、高齢者になるといとも簡単に、あっという間にこうした状況が訪れるのだ。入院中に実際の重症患者を目にしたことは重い。何しろそれは他人事ではないのだから。
ともかく僕は軽症で運がよかった。日常生活の習慣をあれこれ改善し、試行錯誤しながらも自力で生活できている。だから無理をしないで、この状況に合わせて生活を楽しみたい、そう思っている。