実家の解体と最近の体調2026/09/07

実家解体作業
酷暑の夏も過ぎて、秋雨前線の頃になった。涼しい日が続くのはありがたいが、雨の日が多くて雑草の伸びが異常に早く、あっという間に要草刈り状態になる。
さてお盆ごろから始まった実家の解体作業の写真を妹が送ってきた。作業は結構進んでいて、もう2・3階部分は無くなっている。親父が自慢していた重量鉄骨の骨組みや、風呂場のタイルらしきものが散乱しているのが見える。この秋には更地となって、明治7年ごろ創業の魚駒の歴史が跡形もなく消えていく。3代目を放棄して上京した長男の私としては複雑な気持ちなのだが、時の移ろいはあらゆるものを変えていき、昔のままを残すことが如何に難しいか実感するこの頃だ。
最近の体調はと言うと、本当に不思議なことに、年明けからの不調が嘘みたいで、排尿のトラブルもなく、腰痛も出ず、すこぶる調子がいい。ただ散歩をすることが減ったためか、やや運動不足気味である。この秋は、仕事、絵画制作、散歩をしっかり日課としてやっていこうと思っている。ただし、長時間の歩きはちょっと心配なので、30分ぐらいでいいから毎日歩くことを目指す。
絵画制作については、ややスランプ気味だで悩むことが多いが、これも職人技修行の一環だと思って、楽しむ方向で乗り切ろうと思っている。

エジプト旅行の事(1)2026/08/09

そう言えば、年末年始のエジプト旅行の事を書いていない。
帰国後の体調不良のせいで生活のリズムが大きく崩れ、矢継ぎ早に変化する不具合のことで頭が一杯だったもんだから、とても旅行記を書こうという気になれなかった。
さて、今回の旅行は2008年以来13年ぶりで、私にとっては23回目のエジプト訪問となった。遅れに遅れたGEM(大エジプト博物館)の正式開館が昨年11月だったので、いつにも増して観光客が殺到する状況になるのは分かりきっていたので、私としてはもう少し先でいいんじゃないかと思っていたが、娘夫婦の都合でどうしてもこのタイミングでなくては無理ということなので強行したというのが実情だ。とにかくホテルも航空便の手配も大変だったと娘が言っていた。LCCを使い韓国仁川からAbū Dhabī経由でカイロに入り、そのままルクソールに向かうという強行軍だった。とにかく無理な乗り継ぎでAbū Dhabīでは8時間半の待ち時間だった。
ともかく問題なく目的地に着いたのだが、いきなり我が研究フィールドのルクソールということで、ホテルに着いてホッとしたというより、明日からの遺跡巡りの事で胸がざわついて暫く眠れなかった。
旅行記は幾つかに分けて書いていくことにする。

実家の解体で思うこと2026/08/03

妹からの報告では、この夏お盆の頃、大垣の実家「魚駒」がついに解体される事になったらしい。
父が死に、母が死に、実家を継いでいた弟も逝ってしまい、子供達が相続放棄をし、我々関係者も全員相続放棄したものだから、管財人によって売却されたのだ。幸にしてその購入者は隣人の、幼なじみだったのでホッとしたのだが、いよいよ解体して更地になるというので、正直寂しさと複雑な気持ちでいる。
隣接地とはいえ、ゴミ屋敷同然の家の片付けをし、解体して更地にするといった面倒を引き受けてくれた隣人には感謝しかない。
実家がある所は、大垣城大手門近くの本町と中町に挟まれた魚屋町で、もともと小さな町内だったが、中心には魚市場があり、伊勢湾からの海産物が川や堀を使って集積される、賑やかで歴史的な場所だった。今はもう寂れ、9軒の家で構成される町会になっているらしい。街の中心部も空洞化が進み、至る所にコインパークがあって、昔の賑わいは遠い記憶になっている。あの店も、そして老舗の料理屋や旅館もすっかり更地となり、歯抜けの街並みが痛々しくもある。
さて、感傷的になっても仕方がない。時は過ぎ、人は去り、街は変わってしまうものだということを実感するだけだ。齢を重ねるという事は、多くの別れを経験し、そうした移ろいの目撃者になるという事なのだ。
さて故郷に、私が戻る所が無くなった。

体調その後2026/07/25

梅雨明けのニュースが入ってくるこの頃だが、南東北はまだ明けない。
さて、春先から体調は概ね良いのだが、不調最後(2月末)に血尿が出たため、念のため総合病院でMRIで撮影検査したら、膀胱は問題ないが、前立腺に何やら白いモヤモヤと斑点が確認され、癌の疑いありという診断を受けた。画像だけでは診断が確定できないという事で、今月5日から3日ほど入院して検体採取という手術を受けた。その結果を昨日の診断で知らされたが、幸にして癌細胞は見つからなかった。ホッとしたが、引き続き経過観察という事になり、10月末に再検査だ。
それにしても不思議だ。あの苦しかった大不調の1〜2月の後、排尿の調子が良いだけでなく、夜間頻尿も改善しとても快適になった。あの不可思議な感染のショックで、何やら体調が変わり諸々の不具合が一掃されたような感じがする。多分前から酷くはないが膀胱の不具合があって、2月にきちんと治療したのでそれが治ったという事なのだろうか? 加齢も進む事なので油断はできないが、ともかく今はとても調子がいい。ありがたい事に、仕事も十分順調でデジタル機器の刷新も予定でき、これから秋の美術展に向けて絵を描き始めることができる。
72歳になったが、いつもと同じで健康が一番。

久々のエジプトと体調不良のこと2026/04/28

連休に入り、周辺の山が小楢の新緑で美しい。
さて、ここまで更新できなかったので、年末年始からここまでをざーと振り返ってみる。
 年末年始は久し振りにエジプトへ行ってきた。娘夫婦に懇願されたので同行したのだが、11月にGEMが正式オープンしたので予想通りの大混雑で、ホテルや航空券手配も思うようには行かなかったようだ。韓国経由でアブダビに向かいカイロそしてルクソールへと実に長い旅程だった。
 私にとっては最後かもしれないエジプトだが、娘が小さい内にと思っていたのが実現できなかったので、念願が叶えられてホッとしている。旅行の詳細は別の機会にするが、僕の若い頃の足跡の一端を娘に見せてやれて、自分では満足している。
 そんな訳で今年の元旦はクフ王のピラミッドにいた。若い頃ここに通勤し電磁波レーダーでの探査に従事し、内部の地下の間や王妃の間そして玄室を何度も行ったり来たりしたのだが、今回は大回廊に入ったとたん息切れが酷くて、それ以上行くのを諦め、王妃の間入り口の水平通路で休憩することになった。歳をとったものだ、ルクソールでは比較的元気で遺跡巡りが出来たのだが、連日の遺跡巡りは老人にとっては過酷な日程だった。
 さて年明け4日に帰国したのだが、そこからが大変だった。
翌日高熱がでて寝込み、全身の倦怠感や関節痛などが出て、一時は食欲も落ち体力が衰えてちょっとやばい状況になった。医者から処方された薬のおかげで何とか持ち直すまでに半月以上かかり、その間足の指が腫れて痛むなど、訳の分からん不具合が起き、加えて頻尿がひどくて夜も眠れぬ日が続いたりした。
どうやら帰国経路の何処かでタチの悪い細菌かウイルスに感染したようなのだ。そうして一連の不具合も落ち着いて2月に入った頃、今度は尾骶骨付近に鈍痛が出て、椅子に座ることが苦痛になり、鎮痛薬を連蔵服用する事になったのだが、それが原因なのか?今度は膀胱の過活動で夜中に頻繁にトイレに駆け込むという日が続き、ついには膀胱炎と診断され、月末には血尿まで出た。どうやら腎機能が低下し、尿道に結石があったようだ。それによって内部が傷つき出血したのだと思うが、一週間程してお尻の痛みが消え、鎮痛剤の服用をやめたら膀胱の過活動も収まり、徐々に回復し3月はほぼ平常に戻った。その後も体調はよく平穏に暮らしているが、念の為総合病の泌尿器科でMRI検査したところ、膀胱は綺麗で問題なしだったが前立腺に二つの影が写り、前立腺癌の可能性大だと診断された。そんな訳で、診断を確定させるために小手術によって患部を採取して検査するという事になり、現在そのための検査待ちだ。
医者はロングフライトが原因だというが、僕はそうは思わない。
例のタチの悪い細菌かウイルスがこの一連の不調の元だと思っている。何にしても桜の時期には散歩も出来て、新緑を普通に楽しめるまで元気になった。あらためて普通に暮らせることが一番だと思った。高齢者にとっては尚更だ。

感染症のリスク2025/11/21

三春美術展が終了してホッとした頃、急に熱が出て、次いで咳と痰が酷くなって、39度を超える高熱で一週間ほど寝込んでしまった。一体どうゆう事なのか?感染症に一種なのだろうか?マスクもしていたのに何処で拾ったのだろうか?
そんなことを考えていてもしょうがないが、とにかく高齢者に高熱はキツかった。症状が改善し普通に暮らせるようになるまで何と約二週間かかった。回復後も体力が戻らず、ふらつきや立ちくらみがあり、血圧が異常に低い日が続いた。血圧が正常血に戻るまでさらに約一週間かかった。若い頃ならこんな事はなかったと思うのは高齢者の常だが、確かに病後の回復が遅く、何やら変な異常が目立つようになった。こんな事で命を縮めたくはないので、周りを気にせずしっかりと感染症予防をしなければと実感した。
この冬もインフルエンザが流行し出したらしい。とりあえず予防接種は済ませ不要な外出は控えようと思うのだが、城山の発掘調査も始まり、文化財関連の会議もあり何かと慌ただしい。
年末年始にはエジプト旅行も控えており、新たなパスポートも取得し、あとは石器実測も仕事を早期に終わらせることに専念すればいいのだが、絵の練習も新たな段階へ進むべく試行錯誤中である。
何はともあれ健康が一番だ。アレコレあるけどストレスを貯めず、穏やかに暮らしていきたいものだ。

展覧会終了2025/10/20

17日から3日間だけの美術展が終了した。町の文化祭の一環として開催されるもので、会場の都合もあり短期間の展示なのである。
長期にやりたければ別途会場を手配するしかないなあ。
さて今回は8号と10号の油彩画、A4サイズの水彩画、B6サイズの色鉛筆画を出展した。10号の油彩で滝桜に挑戦したが、割と評判が良かった。花びらも細く書いていく予定だったけど、先月コロナになったせいもあって仕事も遅れたので、実は時間が十分ではなかった。なんとか形にはしたが作品としての仕上げはお粗末なものだった。来年はきちんと計画的に制作スケジュールを決めて、余裕を持って制作したいものだ。

コロナになった2025/10/04

9月半ばの連休に娘夫婦の新しいアパートに行ってきたのだが、帰宅後一日経ってから喉の奥がヒリヒリしてきて高熱が出た。医者に行って検査したところコロナが検出されてしまった。咳も痰もひどくなくて喉がヒリヒリしていただけだが、それも5日ほどで治り咳と痰が残った程度で重篤化はしなかった。そのせいで21日に予定していた文化財フォーラムのレクチャーを延期してもらわざるを得なかった。
月が変わり現在はほぼ完治したが、それにしても不思議だった。
一戸建てのアパートに引っ越したから泊まれるとの連絡を受け、婿さんの再就職の祝いもあって、彼の家族と共に横浜中華街で食事会をし、新宿の画材屋さんに寄ってから、特製こんにゃくを購入する為矢祭経由で帰宅し、その間妻とは全く同じ行動だったのだが、僕だけがコロナになった。どこで拾ってしまったのだろうか?東京や横浜ではなく、おそらく帰宅時のどこかだと思うのだが、食事中以外はずっとマスクはしていたので、怪しいのは昼食をとったレストランか土産を買った矢祭の食堂だろう。
まあ、とにかく今後も注意しよう。後遺症だろうか?倦怠感が残っているし、まだ時々咳もでる。糖分マスクをして他人にうつさないよう心がけるとする。
そんな訳で先月は数日病床にあったこともあり、仕事がほぼ一週間の遅れが出てしまった。頑張って昨日終わらせたが、美術協会展の作品もまだ出来ていないし、それを納める額縁も制作途中である。次の仕事も入ってきたし、コロナ禍のせいであれやこれやと何やら慌ただしい。

美術協会展に向けて2025/09/11

9月もあっという間に10日過ぎ、来月初めには画題などを美術協会に知らせる必要があるのだが、まだまだキャンバスは真っ白のままだった。とにかくオイルは時間がかかるので、まずは下絵をと思い、娘の子供時代の写真を元に8号に着手し、10号の方は滝桜を画題に選んでみた。いつかは描こうと思っていた滝桜だが、果たしてうまくいくかどうか不安である。ともかく毎日あれこれ工程を考えながら少しずつ制作していこうと思っている。さらに水彩画を一点描くつもりで風景画の画題を探していたところ下郷町の観音沼の写真があったのでこれを選んでみた。今回はP12号の額縁に入れる為にA2のミューズボードを用意した。一応ホワイトワトソンが貼ってあるので、何回かの重ね塗りやリフティングの絶えると思っている。昨年もそうだったが、またしても締め切りに追われて描くという事になってしまった。子供の頃からそうなのだが、全くもって計画的にコツコツと作業するという事ができない、困ったものです。
色々練習してきた成果発表のつもりで制作にかかろうと思っているが、とにかく楽しむ事が第一という事を忘れずに・・・ですな。

三春の歴史と文化財の事2025/09/01

9月となり町の広報誌でも案内記事が載ったので、いよいよ21日に予定しているレクチャーの準備をしなくてはと思っている。プレゼンの素材となりそうな画像や資料はほぼ集めたので、話の流れなど具体的に決めてスライドを作る事を始めればいいのだが、今月は本業の難易度の高い石器実測の仕事や、来月開催予定の美術展に出品するための作品作り、そして引越したばかりの娘夫婦のところに出かける予定があるなど、最近にしては珍しく気忙しく、酷暑のせいもあって薪割りや庭仕事なども思う様にはかどらず、ちょっと落ち着きのない日々が続いている。
レクチャーは、現在町で進めている文化財保存活用地域計画策定に向けた関連事業である文化財フォーラムで講師を務めるという事なのだが、考古学を長くやってきたとはいえ、東北地方そして我が町の歴史については本当に不勉強だった。いい機会なので、先月から何度か図書館に通い、関連図書をあさって俄か勉強に励んできた。文化財保護審議会の会長という肩書きもあるので与太話で済ませる訳にはいかないのだ。早大時代やツタンカーメン展監修の頃は頻繁にレクチャーや講演をしてきたので慣れてはいるはずなのだが、それももう随分昔の事となり、病気の後遺症で発声にやや難があるので、やや緊張も感じている。
ともあれ学び直しの一環として地域の歴史を調べることは意外と楽しく、久々に脳が活性化しているのを実感する。
さて文化財の保存活用というテーマを軸に話すのだが、まずは知ることから始めようという事から入って、保存のあり方や節度ある活用などについて話を広げていこうと考えている。折に触れ色んな人の話を聞くと、遺跡ってそんなにあるんだ的な反応が多いのだ。それに基本的な用語解説も必要なのかもしれないなあ、とあれこれ考え中。