久々のエジプトと体調不良のこと2026/04/28

連休に入り、周辺の山が小楢の新緑で美しい。
さて、ここまで更新できなかったので、年末年始からここまでをざーと振り返ってみる。
 年末年始は久し振りにエジプトへ行ってきた。娘夫婦に懇願されたので同行したのだが、11月にGEMが正式オープンしたので予想通りの大混雑で、ホテルや航空券手配も思うようには行かなかったようだ。韓国経由でアブダビに向かいカイロそしてルクソールへと実に長い旅程だった。
 私にとっては最後かもしれないエジプトだが、娘が小さい内にと思っていたのが実現できなかったので、念願が叶えられてホッとしている。旅行の詳細は別の機会にするが、僕の若い頃の足跡の一端を娘に見せてやれて、自分では満足している。
 そんな訳で今年の元旦はクフ王のピラミッドにいた。若い頃ここに通勤し電磁波レーダーでの探査に従事し、内部の地下の間や王妃の間そして玄室を何度も行ったり来たりしたのだが、今回は大回廊に入ったとたん息切れが酷くて、それ以上行くのを諦め、王妃の間入り口の水平通路で休憩することになった。歳をとったものだ、ルクソールでは比較的元気で遺跡巡りが出来たのだが、連日の遺跡巡りは老人にとっては過酷な日程だった。
 さて年明け4日に帰国したのだが、そこからが大変だった。
翌日高熱がでて寝込み、全身の倦怠感や関節痛などが出て、一時は食欲も落ち体力が衰えてちょっとやばい状況になった。医者から処方された薬のおかげで何とか持ち直すまでに半月以上かかり、その間足の指が腫れて痛むなど、訳の分からん不具合が起き、加えて頻尿がひどくて夜も眠れぬ日が続いたりした。
どうやら帰国経路の何処かでタチの悪い細菌かウイルスに感染したようなのだ。そうして一連の不具合も落ち着いて2月に入った頃、今度は尾骶骨付近に鈍痛が出て、椅子に座ることが苦痛になり、鎮痛薬を連蔵服用する事になったのだが、それが原因なのか?今度は膀胱の過活動で夜中に頻繁にトイレに駆け込むという日が続き、ついには膀胱炎と診断され、月末には血尿まで出た。どうやら腎機能が低下し、尿道に結石があったようだ。それによって内部が傷つき出血したのだと思うが、一週間程してお尻の痛みが消え、鎮痛剤の服用をやめたら膀胱の過活動も収まり、徐々に回復し3月はほぼ平常に戻った。その後も体調はよく平穏に暮らしているが、念の為総合病の泌尿器科でMRI検査したところ、膀胱は綺麗で問題なしだったが前立腺に二つの影が写り、前立腺癌の可能性大だと診断された。そんな訳で、診断を確定させるために小手術によって患部を採取して検査するという事になり、現在そのための検査待ちだ。
医者はロングフライトが原因だというが、僕はそうは思わない。
例のタチの悪い細菌かウイルスがこの一連の不調の元だと思っている。何にしても桜の時期には散歩も出来て、新緑を普通に楽しめるまで元気になった。あらためて普通に暮らせることが一番だと思った。高齢者にとっては尚更だ。

母とセンブリ2024/10/01

今朝もいつもの林を散歩してきたが、そう言えば今年はセンブリを見ていないと気づいた。いつもなら夏の終わり頃に、キノコなどと一緒に尾根筋の乾いたところに群生が見られるのだが、どうした事か今年は全く見られなかった。センブリといえば漢方薬では胃薬として有名で、子供の頃母と一緒に山歩きをした際に教えてもらった記憶がある。
母は、故郷大垣では名の知れた「草のおばさん」で、夏休みになると地元文化センターで子供の押し花や草調べの相談会をしてたことがあり、押し花の標本もかなりの数があり、大垣周辺のほぼ全種類の草を収集していた。資料はその後一括して岐阜県立博物館に寄贈したが、晩年まで草の観察に出かける事もやめず、自室には植物図鑑や記録ノートなどがあった。
センブリを見つけると、母と歩いた垂井の円興寺周辺の山を思い出す。仕事の合間に天気が良いとよく近所の山に出掛け、母の植物観察に付き合ったものだった。山野草を見る楽しみはそんな経験から来たものだろう。草を見ながら散歩を楽しむことは、母との思い出を蘇らせるものでもある。
そういう散歩が好きである。これからも続けていこう。

イスラムの村2024/08/26

ナイル西岸の船着場
調査隊には色んな人が来る。我々大学の教員・スタッフや学生はもちろんだが、調査内容によっては委託した探査会社や環境検査会社、空撮や測量会社のスタッフ、そしてテレビ局や通信社に取材班などが加わることもしばしばで、実にバラエティーに富んでいる。中には少々変わった人がいて、現地でマネージメントする者にとっては頭の痛い事件を起こす場合がある。
例えば、仕事終えて夕食までの休憩時間に宿舎の外に出て村に行き、現地の人たちと仲良くなり、その人の家に行ったりする事。もちろん悪い事ではないが、慣れないイスラム社会で現地の習慣など無知な人が行動すれば、時には厄介な揉め事が起きるものである。前にも書いたが、観光ビザで入国し、政府の許可のもとで調査をしているのと、調査期間中現地では多くの作業員を雇う雇用者でもあって、色んな意味で気を使う関係で、必要以上に現地の人と親しくするのは控えるといった微妙な関係なのである。そんな状況で、ただでさえ調査で忙しいのに、個人的な揉め事など持ち込まれては困るのだ。そんな訳で一応滞在中の注意事項として毎回説明するのだが、つい浮かれた気分でルール違反する者もあった。
中には、暗い村の中にネオンのような明かりを見て、歓楽街か何かと勘違いして、そこへ連れ行けと頼まれたこともある。そこはモスクなのだが・・・。
調査中に作業員を現地で雇うには古くからの手順があって、まずは発掘人夫を束ねる親方に相談し、そこから手配してもらうのが伝統的なやり方なのである。我々外国人が直接人を集めたりすると、現金収入の少ない田舎では厄介な揉め事になる。微妙な立場の外国人がそんな事に巻き込まれると、調査許可に悪い影響が出る恐れもあるので、勝手に作業員を雇ったりするのは御法度なのだが、ある時勝手に現地の少年を雇い、紅茶を入れさせたり、笛を吹かせたりして悦に入っていた調査員がいて、私に賃金を支払うように要求してきた事がある。ハワード•カーターの時代のような優雅な調査気分を味わいたかったのだろうが、そんな勝手な事は断じて認められないので、拒否した事がある。
イスラム社会で外国人として暮らし、人を雇って発掘調査をするという事は、一度きりの物見胡散の観光旅行ではなく、長期にわたる現地との関わりに気を配らなければならないのである。
そういう事は、何度も現地調査に参加しマネージメントしてきたので、私としては痛感しているが、ゲストの調査員や一時的な派遣の技師さんたちにはなかなか分かってもらえず。これも懐かしい思い出だが、正直言って毎回毎回頭の痛い問題だった。

ワセダハウスの事2024/08/24

ワセダハウス
ルクソール西岸のクルナ村は王家の谷や王妃の谷へ行くための入り口だし、何よりも中王国時代からの貴族墓(私人墓)が集中しているところで、壮大な葬祭殿が立ち並び、言うなればまさに国際観光村である。
早稲田大学はこの村はずれのカーターハウス隣に、ルクソール考古学研究所(通称:ワセダハウス)を持っていて、毎年調査隊を派遣してきた。大学の職員になった後は、ここの維持費などの管理や現地でのメンテナンスなどが仕事となり、まさにワセダハウスの管理人であった。
当時(現在もそうかもしれないが・・)日本とエジプトには国としての文化協定は結ばれてなくて、ましてや私立大学の調査隊なので、観光ビザで入国し、考古庁の許可をもらって活動するといった具合であった。それはつまり入国の際に申請した調査機材などは、調査終了後にはいちいち持ち帰らなくてはならず、ワセダハウスも一時的な宿舎として認められたもので、エジプト政府から土地を借りて早稲田大学の資金で建てたものだった。そして調査隊が行かなくなるとエジプト政府に帰属するという協定だったらしく、少人数でも良いから毎年派遣してたのはそういう事情もあったからでもある。
建物は現地の伝統的な泥レンガで出来ており、埃っぽいところを我慢すれば冬は暖かく、夏も過ごしやすかった。ただし一度熱くなるとなかなか冷めないので、真夏の調査では、風のある屋外で寝るしかなかった。プリニウスのエジプト誌にも書かれているが、虫の多い水辺の屋外では高い塔の上で寝ていたらしい。
さて、そんなワセダハウスだが、吉村先生と川床睦夫氏の努力によって出来上がったのだが、現場工事を指揮した川床氏は、何号室か忘れたけど、自分の部屋だけ特別に念入りに仕上げたと、後になって聞いたことがある。
泥レンガの塀に囲まれたこの宿舎で、長ければ2ヶ月、通常は一月半ほど集団生活をして調査をするのだが、エジプトのクルナ村に一時的に日本人村が出現するのである。塀の中のこりない面々って映画があったけど、まさにこの中では思い出深い様々なことがあって、いろんな人たちに出会い、生活全般や調査の裏話など山ほどある。
覚えているうちにボチボチ書き残していこうと思ってます。

エジプト調査の思い出2024/08/23

若い頃、ほぼ30代はエジプト調査に費やしていた。年に1〜2回、多い年は3回、エジプトのルクソールやカイロに行き、幾つもの調査に参加してきた。大学の学術調査隊なので、教授たちの講義のない休暇の時期に実施された。ルクソールでは王家の谷のアメンへテプ3世墓やクルナ村の貴族墓調査で主に壁画の記録を担当し、カイロではピラミッドの電磁波レーダー探査や太陽の船予備調査に参加した。はじめは一隊員としての参加だったが、大学の嘱託になってからは学生を指導しながら主体的に活動し、太陽の船予備調査では主任だった。
吉村作治先生の元、何かとテレビで取り上げられ、華々しい印象かもしれないが、実際の現地調査は地味なもので、異国で暮らすこと、特にイスラム圏で仕事をする事の難しさに直面し、貴重な経験となった。もう随分昔のことになったし、現地での暮らしや調査の裏話など、思いつくままに備忘録として残しておこうと思っている。