ワセダハウスの事2024/08/24

ワセダハウス
ルクソール西岸のクルナ村は王家の谷や王妃の谷へ行くための入り口だし、何よりも中王国時代からの貴族墓(私人墓)が集中しているところで、壮大な葬祭殿が立ち並び、言うなればまさに国際観光村である。
早稲田大学はこの村はずれのカーターハウス隣に、ルクソール考古学研究所(通称:ワセダハウス)を持っていて、毎年調査隊を派遣してきた。大学の職員になった後は、ここの維持費などの管理や現地でのメンテナンスなどが仕事となり、まさにワセダハウスの管理人であった。
当時(現在もそうかもしれないが・・)日本とエジプトには国としての文化協定は結ばれてなくて、ましてや私立大学の調査隊なので、観光ビザで入国し、考古庁の許可をもらって活動するといった具合であった。それはつまり入国の際に申請した調査機材などは、調査終了後にはいちいち持ち帰らなくてはならず、ワセダハウスも一時的な宿舎として認められたもので、エジプト政府から土地を借りて早稲田大学の資金で建てたものだった。そして調査隊が行かなくなるとエジプト政府に帰属するという協定だったらしく、少人数でも良いから毎年派遣してたのはそういう事情もあったからでもある。
建物は現地の伝統的な泥レンガで出来ており、埃っぽいところを我慢すれば冬は暖かく、夏も過ごしやすかった。ただし一度熱くなるとなかなか冷めないので、真夏の調査では、風のある屋外で寝るしかなかった。プリニウスのエジプト誌にも書かれているが、虫の多い水辺の屋外では高い塔の上で寝ていたらしい。
さて、そんなワセダハウスだが、吉村先生と川床睦夫氏の努力によって出来上がったのだが、現場工事を指揮した川床氏は、何号室か忘れたけど、自分の部屋だけ特別に念入りに仕上げたと、後になって聞いたことがある。
泥レンガの塀に囲まれたこの宿舎で、長ければ2ヶ月、通常は一月半ほど集団生活をして調査をするのだが、エジプトのクルナ村に一時的に日本人村が出現するのである。塀の中のこりない面々って映画があったけど、まさにこの中では思い出深い様々なことがあって、いろんな人たちに出会い、生活全般や調査の裏話など山ほどある。
覚えているうちにボチボチ書き残していこうと思ってます。

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