エッシャーの階段2019/01/16

例えば一つの仕事が終わり次の仕事に取り掛かる。あるいは一つの段階が終わり、次の段階へ向かう。そんな事を考えるとき、人は右肩上がりの階段を想像してはいないだろうか?一段上がるたびに高みに向かっているようなイメージで。
果たして、何故右上がりで、何故上昇してると思えるのだろうか。
M.C.エッシャーの階段を思い出した。一種のオプティカル・イリュージョンと言える作品は、巧みな数学的錯視で階段を登っているのか下っているのか戸惑わせるものだ。
技術の習得は、高い到達点を目指して一段一段上っていくというイメージだが、学問や研究についてはそうとは限らないことが多い。いくつかの問題を解きながら、実験を繰り返しながら、資料を探索しながら、時には壁にぶつかり、最初からやり直すことだってありうる。そう簡単ではないのだ。そして原点に立ち返って再出発することで次の段階へ進めることもある。
だがその錯視画の中の人は、自分は前進してるとしか思っていない。それを眺める観察者からは下っていると見えることもあるのに。
さて、何が言いたいのだろうか?
脳裏には例のリトグラフが鮮明に浮かんでいるのだが。
多分、空間的には進んだり戻ったりくねくねと進んでいるのだろう。しかし道は一本道で、一筆書きの時間軸上を徘徊しているといった、そんなイメージなのかもしれない。

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