水曜日はブログ更新 ― 2025/07/16
我が家は毎日新聞を購読している。学生時代から応援している新聞社なので成り行きで今でも購読してるが、ネット時代の昨今はその必要性に疑問もある。でもニュースだけではない楽しみ方というか、時事性の強い論評などは重要だなあと思う事がある。また日曜版のコラムなどは良い刺激になるコンテンツで、松尾貴史氏の「ちょっと違和感」は欠かさず読んでいる。松尾氏といえば多芸多才な方で、確か大阪と東京でカレー屋さんを経営しており、毎週水曜日には新幹線で大阪に行かれるとの事で、その移動時間中が新聞コラムの執筆時間だと書かれていたと記憶している。多忙な方なので集中できる時間がそこだけなのかも知れず、ちょっとお気の毒でもあるが、せいぜい2時間ちょっとの時間に原稿を仕上げて、おそらくは大阪到着後に推敲し新聞社に送信しているのだろう。
とにかく毎週連載というきつい縛りをこなすには、一定の生活リズムというか、自己制御のための決まりが必要なのだと思う。
そんな訳で、ちょうど今日が水曜日だし、松尾さんにあやかって僕もブログを執筆している。今まで書いたり書かなかったりで、不定期更新だったけど、これからは水曜更新で行くかな。書くことを続けること、これは脳のリハビリという事だし、自分への課題にするかな。
とにかく毎週連載というきつい縛りをこなすには、一定の生活リズムというか、自己制御のための決まりが必要なのだと思う。
そんな訳で、ちょうど今日が水曜日だし、松尾さんにあやかって僕もブログを執筆している。今まで書いたり書かなかったりで、不定期更新だったけど、これからは水曜更新で行くかな。書くことを続けること、これは脳のリハビリという事だし、自分への課題にするかな。
自然との共生はイタチごっこでいい ― 2025/07/11
暑い時期が来ると、起床後早々に散歩に出かける。
日中は老人には危険なので、なるべく涼しい時間帯に歩くようにしている。それは自分の体力や体調を考慮しての事だけど、気候に合わせて自分時間やコンテンツを決める事でもある。
春には山野草の花を愛でるといった目を楽しませる事や、野鳥の鳴き声を楽しみながら歩く。僕にとって散歩は健康管理のためのただの運動ではなく、五感を駆使した楽しみ方だと思っている。自然を愛でてそも中で暮らしているという事を実感する時でもある。
天候が良ければ庭に出て雑草を抜くのも日課にしてるが、毎日ポツポツとあまり根を詰めずに、気になるところの草を引くのがいい。特に植栽の隙間から容赦なく生えてくるスギナを引くのが、面倒だが楽しい。他の草花に隠れてなかなか的確に茎を見つけるのが難しいが、ゲームでもやってるつもりでバトルすれば、それはそれで面白い。手先や脳の活性化にも繋がろうというものだ。
だから僕は除草剤などは使わない事にしている。
あまり自然を痛めつけないよう、その一部として振る舞う事が大事だと思うからで、雑草を駆逐しようなどと言う身勝手な考えは持たないでいる。引いても引いても出てくるスギナとイタチごっこでも良いではないか。そんな控えめな暮らしとイタチごっこが、自然と共生する為の良きスタイルだと思っている。
日中は老人には危険なので、なるべく涼しい時間帯に歩くようにしている。それは自分の体力や体調を考慮しての事だけど、気候に合わせて自分時間やコンテンツを決める事でもある。
春には山野草の花を愛でるといった目を楽しませる事や、野鳥の鳴き声を楽しみながら歩く。僕にとって散歩は健康管理のためのただの運動ではなく、五感を駆使した楽しみ方だと思っている。自然を愛でてそも中で暮らしているという事を実感する時でもある。
天候が良ければ庭に出て雑草を抜くのも日課にしてるが、毎日ポツポツとあまり根を詰めずに、気になるところの草を引くのがいい。特に植栽の隙間から容赦なく生えてくるスギナを引くのが、面倒だが楽しい。他の草花に隠れてなかなか的確に茎を見つけるのが難しいが、ゲームでもやってるつもりでバトルすれば、それはそれで面白い。手先や脳の活性化にも繋がろうというものだ。
だから僕は除草剤などは使わない事にしている。
あまり自然を痛めつけないよう、その一部として振る舞う事が大事だと思うからで、雑草を駆逐しようなどと言う身勝手な考えは持たないでいる。引いても引いても出てくるスギナとイタチごっこでも良いではないか。そんな控えめな暮らしとイタチごっこが、自然と共生する為の良きスタイルだと思っている。
言葉を紡ぐ事は脳のリハビリ ― 2025/05/31
軽い脳梗塞を患って5年が経過しようとしている。本当に幸いな事に軽症だったので、若干の発声障害で済んだのだが、僅かでも脳にダメージがある事には変わりない。そこで何とか眠っている細胞を呼び起こして、壊れた細胞の代わりにしようとリハビリに励むのだが、脳の活性化を促すには、絶えず思考する事、考え続ける事が最も有効なのだと思う。ブログを書くことも、備忘録だけではなく、そんな脳のリハビリのつもりなのだが、つい更新を忘れ放置してしまうことも度々で、なかなか上手くいかない。
文章を書くためには思考を纏めて、文字化する作業を繰り返すことだ。そのためには思った事に適した言葉を探し出さなきゃならない。つまりは語彙力の豊富さが大事で、少ない語彙では自ずと表現力など生まれない。小説家志望ではないので味のある文章などは望んでないのだが、的確な表現をする事には拘りたい。若い頃研究者の端くれに居たもんだから、言葉に対して曖昧さは避ける癖が付いているようで、それが僕らしさと言えるのかもしれないが、ともかく先ずは病気治療のためにあれこれ考えながら、絶えず良き文章が生み出せるよう努めるとしよう。
言葉を紡ぐことが、脳の活性化につながると信じて。
文章を書くためには思考を纏めて、文字化する作業を繰り返すことだ。そのためには思った事に適した言葉を探し出さなきゃならない。つまりは語彙力の豊富さが大事で、少ない語彙では自ずと表現力など生まれない。小説家志望ではないので味のある文章などは望んでないのだが、的確な表現をする事には拘りたい。若い頃研究者の端くれに居たもんだから、言葉に対して曖昧さは避ける癖が付いているようで、それが僕らしさと言えるのかもしれないが、ともかく先ずは病気治療のためにあれこれ考えながら、絶えず良き文章が生み出せるよう努めるとしよう。
言葉を紡ぐことが、脳の活性化につながると信じて。
作品を作ると言うこと ― 2025/05/28
絵の練習を始めたきっかけは、実は終活の一環だった。先のことを考えて色々片付けをしている時に、若い頃から捨てずに持っていた画材の扱いをどうするかと言う問題に直面し、処分するのも勿体無いので、使えるものと捨てるものを仕分けしながら、たとえば固まってしまった油絵の具は捨てるしかないが、きちんと洗っておかないで固まってしまった筆などは、何本かは何とか再生出来て使えるようになった。問題は、書きかけのまま放置していたキャンバス類だが、半世紀近くの時が経ち、絵の具層が劣化してひび割れたり剥がれそうになったりしたものもあり、そういうものは加筆を諦めて木枠から外して保存し、木枠にはパネルを貼って基底材として再利用する為ジェッソを塗ったりしてみた。また、プリンターが無くて使わなくなった沢山のA3のコピー用紙などの有効な使い道として、デッサンの練習でもするかと思うようになり、ちょこちょことやっていたのだが、一昨年晩秋に思い立って地元の美術協会に入ったので、秋の展覧会に作品を出すと言う課題を課す事となり、昨年春頃から久々に絵筆をとり、水彩画、油彩画、色鉛筆画などの練習をし、昨年秋の展覧会には作品らしきものを2点出品した。
そんな経過で、最近は仕事の合間にでは無く、日課としてさまざまな画材で絵を描いているのだが、まだまだ学び直し修行中の画学生のつもりなので、自分の事を画家だと思ったことは無い。
そんな訳で老後の楽しみの絵画修行中なのだが、秋の展示会に向けて作品は用意しなきゃならないので、画題を考え、悩む日々が続いている。でも楽しむことが目標なので、普段の練習成果の、学習発表会のつもりで気楽にやっていこうとは思っているが、仮にも展示するのだから、自分の作品として、自分の表現として恥じないものにしたいという思いはある。作品を作るという事はそういう事だと思うのだが、自分らしさとは?自分の表現とは?など、この所毎日そんな事を考えながら過ごしている。
まあ、これもボケ防止、脳の活性化になるのかな。
そんな経過で、最近は仕事の合間にでは無く、日課としてさまざまな画材で絵を描いているのだが、まだまだ学び直し修行中の画学生のつもりなので、自分の事を画家だと思ったことは無い。
そんな訳で老後の楽しみの絵画修行中なのだが、秋の展示会に向けて作品は用意しなきゃならないので、画題を考え、悩む日々が続いている。でも楽しむことが目標なので、普段の練習成果の、学習発表会のつもりで気楽にやっていこうとは思っているが、仮にも展示するのだから、自分の作品として、自分の表現として恥じないものにしたいという思いはある。作品を作るという事はそういう事だと思うのだが、自分らしさとは?自分の表現とは?など、この所毎日そんな事を考えながら過ごしている。
まあ、これもボケ防止、脳の活性化になるのかな。
趣味と仕事 ― 2025/02/23
氷点下の朝が続く2月の半ば過ぎになってしまった。今年は飛び込みの仕事もあって結構忙しくしてるので、あっという間の二ヶ月だった。とはいえまだまだ終わったわけではなく、これからが本番というところだ。会社があった頃と違ってキツイって事はないけれど、この頃は結構難易度の高い仕事が来るので、決して精神的に楽ではない。いい意味での適度な緊張感が伴っており、高齢者にはいい刺激である。特に脳梗塞経験者としては、少々難しい仕事を順調にこなしていける事は、脳機能の改善に有効なリハビリだ。一方、絵の練習も欠かさずやっていて、春から作品制作にかかれるよう色々な練習をしている。でも、水彩や色鉛筆などは手軽にいつでも出来るが、油絵は極寒の倉庫をアトリエとしているので、もう少し暖かくならないと、手が悴んでうまく描けない。それに暖房の灯油も値が高くなって、ガンガン使うわけにもいかない。
そんなこんなで、適度な仕事と趣味の両立をしながら健康的に、できれば気ままな70代を生きようと心掛けている。
また、今年はきちんとテーマを決めて、何か残せる仕事をしたいと考えており、趣味の絵画では、絵手紙プロジェクトとして、小さな水彩画を制作しようと企てている。主題は福島の自然景観、身近な自然などだが、郵便料金も高くなったのでそれらをデジタル化し、SNSで知り合いに送ろうと思っている。また油絵は1段階進めて、伝統的な古典画法の習得に努め、今年秋の美術協会展に向けて10号の作品に着手するつもりだ。
とにかく、古稀を過ぎてもボケないよう、自分に色々と課題を課す。これ大事じゃないかなあと思うこの頃。
そんなこんなで、適度な仕事と趣味の両立をしながら健康的に、できれば気ままな70代を生きようと心掛けている。
また、今年はきちんとテーマを決めて、何か残せる仕事をしたいと考えており、趣味の絵画では、絵手紙プロジェクトとして、小さな水彩画を制作しようと企てている。主題は福島の自然景観、身近な自然などだが、郵便料金も高くなったのでそれらをデジタル化し、SNSで知り合いに送ろうと思っている。また油絵は1段階進めて、伝統的な古典画法の習得に努め、今年秋の美術協会展に向けて10号の作品に着手するつもりだ。
とにかく、古稀を過ぎてもボケないよう、自分に色々と課題を課す。これ大事じゃないかなあと思うこの頃。
ブログを書くということ ― 2024/12/14
このブログも何度か挫折した。
始めたばかりの頃は、埼玉から阿武隈山地の里山への移住直後だったので、山里から新しい暮らしの発信をと目論んでいたのだけれど、なかなか思うようにいかず、一旦全ての記事を削除してしばらく放置していたのだが、2011年の東日本大震災後のツタンカーメン展監修を機に、思いも新たに再開する事にした。
その後は不定期にポツポツと投稿してきたが、4年前の2020年7月に脳梗塞を罹患した事と病気持ち高齢者である事の実感を持ったことで改めて必要性を感じて書くようになった。
それは残りの人生の記録であり、時々の思いや出来事の保存であり、何より脳のリハビリのためだという事だ。
言うまでもなく、思いや考えを文字起こしする事や文章を綴ることは思考を深め、また思考を整理することなのだが、一方、加齢によって薄れ行くはるか昔の記憶をアーカイブする作業でもある。もちろん誰の為でもなく自分の為なんだが、古い写真アルバムを眺めるように、忘れそうな大事な記憶も残しておこうと言う企てでもある。
始めたばかりの頃は、埼玉から阿武隈山地の里山への移住直後だったので、山里から新しい暮らしの発信をと目論んでいたのだけれど、なかなか思うようにいかず、一旦全ての記事を削除してしばらく放置していたのだが、2011年の東日本大震災後のツタンカーメン展監修を機に、思いも新たに再開する事にした。
その後は不定期にポツポツと投稿してきたが、4年前の2020年7月に脳梗塞を罹患した事と病気持ち高齢者である事の実感を持ったことで改めて必要性を感じて書くようになった。
それは残りの人生の記録であり、時々の思いや出来事の保存であり、何より脳のリハビリのためだという事だ。
言うまでもなく、思いや考えを文字起こしする事や文章を綴ることは思考を深め、また思考を整理することなのだが、一方、加齢によって薄れ行くはるか昔の記憶をアーカイブする作業でもある。もちろん誰の為でもなく自分の為なんだが、古い写真アルバムを眺めるように、忘れそうな大事な記憶も残しておこうと言う企てでもある。
紅葉と画題 ― 2024/11/30
今年も明日から師走。霜月はあっという間に過ぎていき、桜はすっかり枝だけになって、紅葉も葉を落とし始めた。夏の猛暑のせいかキノコは実に変則的で、紅葉の頃にはすっかり見なくなった。
一方今年の紅葉はとてもあざやかで、散歩も十分楽しめたのだが、今までと違って、景色を見る目が変わった気がする。というのは、先月の三春美術協会展に初出展した事もあり、作品の画題探しと言うか、構図を気にする目になってしまっていた。制作を意識すると見方が変わるのだろう。スマホで撮る写真も構図を意識した取材写真のようになっている。
僕はまだ画家と言える様な者ではなく、強いて言うなら老画学生なのだが、そのうち徐々に画家の目になっていくのだろう。とは言え鮮やかな紅葉をどう描き残すか?というのは難題である。構図だけではない、どんな表現がいいのだろう?具体的にはどういうプロセスで・・・など、歩きながら考えるのはとても心地いい。散歩に新たな楽しみが加わったようだし、絵を学び直し始めたことはとても良かったと思っている。
さて、新たな計画を立てて、目標をもって画家修行に励むとするか。
一方今年の紅葉はとてもあざやかで、散歩も十分楽しめたのだが、今までと違って、景色を見る目が変わった気がする。というのは、先月の三春美術協会展に初出展した事もあり、作品の画題探しと言うか、構図を気にする目になってしまっていた。制作を意識すると見方が変わるのだろう。スマホで撮る写真も構図を意識した取材写真のようになっている。
僕はまだ画家と言える様な者ではなく、強いて言うなら老画学生なのだが、そのうち徐々に画家の目になっていくのだろう。とは言え鮮やかな紅葉をどう描き残すか?というのは難題である。構図だけではない、どんな表現がいいのだろう?具体的にはどういうプロセスで・・・など、歩きながら考えるのはとても心地いい。散歩に新たな楽しみが加わったようだし、絵を学び直し始めたことはとても良かったと思っている。
さて、新たな計画を立てて、目標をもって画家修行に励むとするか。
人生初の美術展出品 ― 2024/10/19
昨日より三春美術協会展が始まった。
一昨日F6の油彩画とF4の水彩画を搬入し展示してきたが、私にとっては人生初の美術展出品である。たった3日間の短い展示だが、作品を公開するというのは初めてなので結構緊張して、直前まで油絵制作をしていた。きっかけは、昨年秋に友人の陶芸展見学で町の交流館まほらを訪れ、ホールで開催中の美術展に気づきフラッと入って関係者と歓談。気ままに絵の練習するだけでは何とも張りがないので、年に一回だし、どうやらあれこれ面倒な事もなく自由な空気感が漂っていたので入会を決めたのだが、あれからあっという間に時間が過ぎ、今年夏になっても画題も決まらず、結構焦りを感じてきた。何とか水彩画はそれなりに仕上げたがそれだけでは物足りないのでF6号の油彩をと思ったが、なかなか画題が決まらず、今月に入って身の回りの思い出の品々を集めた静物画に着手した。締切のあるプレッシャーを感じながらの作画作業は初めてだったので、作家さんたちの大変さをちょっとは体験できたと感じている。
ともあれ、これで一歩前に踏み出した事になるのだろう。改めて絵の練習計画も練り直して、今度は楽しみながら来年の作品を制作していきたいと思っている。
目標は透明水彩の基本技法と、油画においては古典画法による写実作品の制作だが、今回は作品が小さく感じられたので、油彩も水彩ももっと大きなものにしようと思う。そうなると額縁も大きくなるけど、とても高価になるので購入は諦めて、自作することにした。
材料もストックあるし、木工の趣味も活かせるかなあ。
一昨日F6の油彩画とF4の水彩画を搬入し展示してきたが、私にとっては人生初の美術展出品である。たった3日間の短い展示だが、作品を公開するというのは初めてなので結構緊張して、直前まで油絵制作をしていた。きっかけは、昨年秋に友人の陶芸展見学で町の交流館まほらを訪れ、ホールで開催中の美術展に気づきフラッと入って関係者と歓談。気ままに絵の練習するだけでは何とも張りがないので、年に一回だし、どうやらあれこれ面倒な事もなく自由な空気感が漂っていたので入会を決めたのだが、あれからあっという間に時間が過ぎ、今年夏になっても画題も決まらず、結構焦りを感じてきた。何とか水彩画はそれなりに仕上げたがそれだけでは物足りないのでF6号の油彩をと思ったが、なかなか画題が決まらず、今月に入って身の回りの思い出の品々を集めた静物画に着手した。締切のあるプレッシャーを感じながらの作画作業は初めてだったので、作家さんたちの大変さをちょっとは体験できたと感じている。
ともあれ、これで一歩前に踏み出した事になるのだろう。改めて絵の練習計画も練り直して、今度は楽しみながら来年の作品を制作していきたいと思っている。
目標は透明水彩の基本技法と、油画においては古典画法による写実作品の制作だが、今回は作品が小さく感じられたので、油彩も水彩ももっと大きなものにしようと思う。そうなると額縁も大きくなるけど、とても高価になるので購入は諦めて、自作することにした。
材料もストックあるし、木工の趣味も活かせるかなあ。
歩きながら考えた脳の事 ― 2024/08/13
人生いろいろって、島倉千恵子の歌ではないが、本当にそう思うこの頃。散歩中には色んなな思い出が予期もせず湧いてくることがある。あぶくの如く沸々と、脈略も無くって事もある。もちろんその時々の目に映る景色や草花などがきっかけで、思い出したり連想したりもするが、不思議だが、理由もなくふわっと湧いて出てくることも。
脳梗塞を罹患して、脳の役割や重要さは実感しているが、その不思議さは人智では到底及ばない。壊れたところは戻らないけど、未使用区画がその代替えとなって機能してくれるようで、諦めずリハビリすることで少しずつだが回復の兆しもある。
有難いことに味覚異常が少しずつ回復してきて、退院直後は純米酒も2級酒も区別できなかったのが、ちゃんと違いを感じて楽しめるようになってきた。しかし、未だにコーヒーの酸味や旨味、ワインの芳醇な味というのが分からないままである。
味がわからないっていうのは、口中の味覚センサー壊れたのかと言うとそうではないだろう。センサーに異常はないが、伝達されてくる情報が正しく認識されないという脳機能の障害なのだと思う。
記憶の繋がりや、冒頭で書いた予期せぬ思い出しなども、もしかしたら脳障害のせいであるかも知れない。何かしらの不具合が記憶の合理的な繫りを乱し、超現実的な記憶を生み出したりするのかも知れない。またそうなると睡眠中の夢などもその傾向があるのかも知れない。
病気持ちの老人が訳のわからない事を言ったり、奇行に走ったりする事の背景にはっこんな事もあるのかも知れないなあ。
脳梗塞を罹患して、脳の役割や重要さは実感しているが、その不思議さは人智では到底及ばない。壊れたところは戻らないけど、未使用区画がその代替えとなって機能してくれるようで、諦めずリハビリすることで少しずつだが回復の兆しもある。
有難いことに味覚異常が少しずつ回復してきて、退院直後は純米酒も2級酒も区別できなかったのが、ちゃんと違いを感じて楽しめるようになってきた。しかし、未だにコーヒーの酸味や旨味、ワインの芳醇な味というのが分からないままである。
味がわからないっていうのは、口中の味覚センサー壊れたのかと言うとそうではないだろう。センサーに異常はないが、伝達されてくる情報が正しく認識されないという脳機能の障害なのだと思う。
記憶の繋がりや、冒頭で書いた予期せぬ思い出しなども、もしかしたら脳障害のせいであるかも知れない。何かしらの不具合が記憶の合理的な繫りを乱し、超現実的な記憶を生み出したりするのかも知れない。またそうなると睡眠中の夢などもその傾向があるのかも知れない。
病気持ちの老人が訳のわからない事を言ったり、奇行に走ったりする事の背景にはっこんな事もあるのかも知れないなあ。
あれよあれよで古希になった ― 2024/07/25
実家相続のゴタゴタも収束し、誕生日もすぎて古希の爺さんになってしまった。とっくに高齢者で、美術館が入場無料などの特典を利用しているが、生活感覚はというとまだまだ若い気でいる。でもそれは危険な事だと、この頃実感している。
4年前に軽症の脳梗塞になり、発声や味覚に軽い障害が出ているだけでなく、加齢に伴う各種機能障害に加えて、脳の損傷による機能障害も起こしてる可能性もあり、こんな事でと思うようなことが実に危険なのだという事案をいくつか体験した。
例えば、熱中症アラート発令中に、腰が痛いからといって熱い温泉に入り、軽い熱中症で倒れそうになった。入浴中にクラクラしてきて、脱衣所で扇風機に当たりながら冷水を飲み、暫く休憩してたがクラクラ、ムカムカしてきて気を失いそうになった。運悪くその日は貸切状態で誰一人客もなく、店主は帳場で休憩中。本当にヤバかった。
なんとか無事帰宅できたが、あのまま倒れていたらと思うと、本当に笑い事ではない。行動を間違えると簡単に命が危険に晒される、それが高齢者なのだ。
今朝も散歩をしたが、予定よりちょっと遅く出かけたせいで気温も上がり湿度が高く、木陰で涼もうにも風もなく、足取りも重く感じられ、ちょっとフラつきを感じた。
血圧は低めで安定しているが、どうやら体温調節がうまくいかなくなってきたようだ。そういう事を前提として、病気の高齢者という自覚を持って生活せねばなあと思うが、物理的な現象と意識の乖離を修正するのはなかなか難しい。
4年前に軽症の脳梗塞になり、発声や味覚に軽い障害が出ているだけでなく、加齢に伴う各種機能障害に加えて、脳の損傷による機能障害も起こしてる可能性もあり、こんな事でと思うようなことが実に危険なのだという事案をいくつか体験した。
例えば、熱中症アラート発令中に、腰が痛いからといって熱い温泉に入り、軽い熱中症で倒れそうになった。入浴中にクラクラしてきて、脱衣所で扇風機に当たりながら冷水を飲み、暫く休憩してたがクラクラ、ムカムカしてきて気を失いそうになった。運悪くその日は貸切状態で誰一人客もなく、店主は帳場で休憩中。本当にヤバかった。
なんとか無事帰宅できたが、あのまま倒れていたらと思うと、本当に笑い事ではない。行動を間違えると簡単に命が危険に晒される、それが高齢者なのだ。
今朝も散歩をしたが、予定よりちょっと遅く出かけたせいで気温も上がり湿度が高く、木陰で涼もうにも風もなく、足取りも重く感じられ、ちょっとフラつきを感じた。
血圧は低めで安定しているが、どうやら体温調節がうまくいかなくなってきたようだ。そういう事を前提として、病気の高齢者という自覚を持って生活せねばなあと思うが、物理的な現象と意識の乖離を修正するのはなかなか難しい。